広島で就職した“ワケ”
庭田 これまで取材を受けさせてもらった反響や私自身の経験から、“テレビ空間”が最大の“平和教育空間”なのではないかと感じていたからでしょうか。テレビ離れが叫ばれてもいますが、日常のなかで、リビングでテレビが点いているようなご家庭はまだまだ多いと思うんです。なんでしょう。押し付けるようなかたちでなく、「あれ、今映ったカラー化写真はなんだろう」とか、ちょっとしたきっかけになってほしい。そんな契機を作れる人間に私自身がなりたいなという思いからでした。
――数あるテレビ局のなかでも、地元・広島県の局に進まれたのは、ご自身の平和に関する取り組みを発信していくうえでの兼ね合いも?
庭田 そうですね。戦争体験者に寄り添って、一緒に思いを伝えていく。そのためには頻繁に戦争体験者のもとへうかがえる広島でないと難しい部分はありました。
もしも私が卒業後、東京で就職するということになると、戦争体験者の方に寄り添えないな……といいますか、直接お話をうかがいたいと思ってもなかなかすぐに会えず、こちらの都合で「すみません1ヶ月先でお願いしたいんですけど……」みたいになりそうだと想像してしまって。
昨年の7月、「記憶の解凍」プロジェクトを始めるきっかけになった濵井さんが亡くなられたんです。そのときに改めて、「自分が広島に戻って、広島から伝えられることを発信していきたい。いかなければならない」という気持ちが強くなったというのもあります。