「そろそろ進路を決めないといけないよ」
庭田 戦争体験者の方の話を聞く時間は限られているし、自分のことを考える余裕が本当になくて、高校3年生の夏頃に、学校の先生から「そろそろ進路を決めないといけないよ」と言われて、進路を具体的に考えはじめたんです。
そんなとき、Yahoo! JAPANの本社で「記憶の解凍」プロジェクトに関する講演と展示をさせてもらえる機会をいただけて。上京するタイミングで、ちょうど東京大学のオープンキャンパスも開かれていたので、学校説明会に足を運びました。
話を聞いて印象的だったのが、東京大学の教育学部は教師を目指す学部ではなく、教育空間の意義を考えるのが大きな目的だということでした。博物館だったり、美術館だったり、社会に開かれている空間の教育的な意味、意義を考える学部と知って。それはこれまで私がやってきた取り組みとつながるんじゃないかなと感じたんですよね。
悲惨な体験を目の当たりにして学ぶ……という一方的な平和教育ではなく、触れた人が想像力を豊かに膨らませながら、自分事として受け取れる平和教育。そうしたものを自分の中で探究していきたいと考えていたので、これは……と、東京大学の推薦入試に挑戦しました。
短期間に何十枚もの資料を作成したり、プレゼンテーションの準備を進めたり、とても大変でしたね。センター試験の成績も必要だったので、塾の冬期講習にも通い、初めて自分のためだけの時間を過ごしました。センター試験直前の模擬試験はまだ合格ラインに届くものではなかったのですが、最後まで諦めずに勉強を続けられたのは、幼稚園の頃から続けていたそろばんの集中力や精神力、「記憶の解凍」を進化させるために学びたいという強い想いがあったからだと思います。
――無事に合格、卒業されて、今春からテレビ局に入社されたとのことですが、大学院に進んで研究者を目指す道は考えられなかったのでしょうか。
庭田 考えなかったですね。もちろん、文献を読んで、自分自身の学習・体験を踏まえながら論文にして残していくのも大切だと理解しているのですが、大学院に進んで研究者になっていくことを想像したときに、“それでは関心のある人にしか、伝えたいことが届かないんじゃないかな?”と思ったんです。
私自身が大切にしてきたのは、戦争、平和にそこまで関心がない人、関心を寄せられない人に、どうすれば自分事として想像してもらえるのか、感じてもらえるのかということだったので、それなら早く現場に出て、伝えていくためのチャレンジがしたい。そんな考えが強かったですね。
――伝え方にも、新聞や雑誌など、さまざまなかたちがあると思います。なかでも「テレビ」の世界を目指されたのはなぜなのでしょうか。