1ページ目から読む
2/2ページ目

 ペルー国会で公職追放が決議されても無罪を主張し、06年大統領選出馬を表明するなど権力への執着も見せたが、日本から祖国へ戻る途中のチリで拘束された。自宅軟禁中の06年に日本の女性実業家と結婚。07年には日本の参院選にも出馬し落選した。同年9月にペルーへ身柄を引き渡され、在任中に市民虐殺事件に関与した罪で禁錮25年が確定した。

 収監されたリマ市内の国家警察施設では、うつ病やがん、血圧異常に悩まされ、入退院を繰り返した。17年末に当時のクチンスキ大統領が健康上の理由から恩赦を決定すると、国民に向けて謝罪メッセージを発表。恩赦を無効とする裁判所の判断で約1年後に再収監されたが、憲法裁は23年12月に公表した判決で即時釈放を命じ、再び自由の身となった。