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要人警護としてあの大物政治家も…

「彼は2019年に定年退職。若い頃は要人のSPなどいわゆる『警護課』の経歴が長く、50代で第一線を離れてからは郊外の警察署の警備課長をいくつかやっていました。通信指令本部の指令課長を務めたことも。定年前の最後の仕事は、日野警察署の副署長でした」

SPが身に着けるバッジ ©時事通信社

 警護畑の警官の中でも優秀だったようで、

「警護畑の花形であるSP、つまり要人警護も任されていました。正義感が強く、現役SPだった1997年には、当時住んでいた千葉の自宅近くのプールでおぼれた小さな子供を人工呼吸で助け、市長に表彰されたこともあったそうです。政界の重要人物の警護にも抜擢。なかでも大物だったのは、“殿”の異名で知られる細川護熙元首相(86)です」(警護課関係者)

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93年から8か月間にわたり首相を務めた ©時事通信社

 当時を知る千葉県内の元自宅の近隣住民が語る。

「本当に仲のいい夫婦という感じ。祐二さんは人当たりがよく、由美さんも明るくてお喋りな、溌剌とした人でした。由美さんは家族のこともよく話してくれる方で、『旦那が細川さんのSPなんです』と嬉しそうに教えてくれた。細川さんの隣に、黒いスーツ姿のキリッとした祐二さんが写り込んだ週刊誌の写真記事を見せてくれたこともあったくらいなんです」

息子2人と仲良し一家だった

 2人の息子がいたという夫妻。一時、千葉県に自宅を構えていたのも、子供の健康を考えて空気の良いところを選んだためだったという。

「警察官の息子らしく、息子さんは2人とも空手を習って鍛えていた。上のお兄ちゃんもその後、警察官になったと聞きました。喧嘩のけの字も見えない仲良し一家だったんですが……」(同前)

 祐二氏について尋ねるべく、細川氏の携帯を鳴らしてみると、確かに記憶にあるという。

「中山さん。はい、そういう方がおられましたね。SPの方は、皆さん今も覚えていますよ。とても立派な方でしたね。温和といいますか、口調もそうですし、動作も、とても紳士的な方でした。確か私が現職(首相)のときからいたのかな……彼は途中から来たんじゃなかったでしょうか。そこは詳しく覚えていませんが、動きも非常に素早いけれども、極めて目立たないようにしていて、非常に上手にやっていましたよ」

現在は襖絵制作に力を入れている”殿”細川氏 ©文藝春秋

 細川氏に年末の事件について伝えると、「いや、そうですか」と驚きを隠さなかった。

「ご家族の話は彼からあまり聞いたことがないですが、いや、愛人だとか、とてもそんなことがあるような人とは思えなかったですね。警護を離れてからは連絡を取ってませんで。時々『どうしてるかな』と思っていたんですけど……」 (同前)

 “殿”の身辺を外敵から守った強固な護衛も、家内の諍いは防げなかったようだ。

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