野球女子にとってプロ野球のウグイス嬢(場内アナウンス担当)という仕事はやはり憧れの仕事であろう。満員のスタジアムに響き渡る声。なんとも華がある。しかし一見、華やかに見える仕事も見えない部分では厳しさに溢れている。それは千葉ロッテマリーンズの主催試合で場内アナウンスを務める名物ウグイス嬢の谷保恵美さんも同じ。場内アナウンス一軍公式戦連続担当試合数が6月1日の広島戦(ZOZOマリンスタジアム)をもって、1500試合となった際に球団を通じて出されたコメントからは華やかな部分だけではないウグイス嬢の厳しさを感じとることが出来た。
「入社2年目から場内アナウンスの仕事をさせていただき今年で28シーズン目となります。今後も体調に気をつけて、担当させていただく試合を毎試合スムーズに進行出来るように努めます。高熱の日、頭痛の日、歯痛の日、失恋の日、家族、友人の冠婚葬祭、電車が止まった日……。色々ありましたが、ZOZOマリンスタジアムのアナウンス席を空けることなく、担当出来ていることが出来て本当に良かったです」
谷保さんの場内アナウンス担当一軍デビューは91年8月9日の日本ハムファイターズ戦(川崎球場)。連続試合担当が始まったのは96年10月1日の近鉄バファローズ戦25回戦からだ。それ以降、どんな日も職務を全うし続けた。いつも笑顔で、なかなか辛い部分を見せない谷保さんだが、このコメントから激務の一端が垣間見える。
大好きだった祖母からの最後のメッセージ
ホームゲームが行われていれば家族、どんな仲のよい友人の冠婚葬祭でも出席することは出来ない。これはとても辛いことの一つだろう。本人に確認をすると「友人の結婚式はほとんど行けた記憶がないわね」と振り返る。そして思い出したのは大好きだった母方の祖母との別れだった。あれは04年のシーズン終盤のこと。体調を崩して寝込んでいた祖母の容態が急変した。ただ、その日は公式戦が本拠地で行われている真っただ中。アナウンス席を空けるわけにはいかない。職務を遂行する事を選んだ。
「孫が私と弟の2人しかいなかった。だからとても可愛がってもらった。『好きなことをやりなさい』といつも応援してくれていた」
最愛の祖母の顔が何度も思い浮かぶ中、気丈に振る舞いマイクを握った。それは誰も異変を感じないようないつもの明るく澄んだ声だった。それまでも仕事を行うのが苦しい場面は多々あったのだろうが、おそらく、きっとこの日が仕事をしていて一番辛い日だっただろう。その後もいろいろな厳しい場面があったが最善の仕事をし続けて、ここまで来た。それもやはり祖母の言葉が胸にあったからだ。亡くなる前に最後に会った時の事。意識がもうろうとしていた祖母がベッドに横になった状態でポツリと口にした。「なんでもとりあえずやってみることよ」。その言葉がとても印象的で胸の奥深くに残った。
「あの時、なんで祖母があのような言葉を急に口にしたのかと思った。でもその後の自分の人生でその言葉はいつも刻まれている。だからどんな時も逃げずにやってみようと前を向けている。あれは孫である私たち2人への最後のメッセージだったのかもしれないと思っているの」