戦友と突然別れるような気持ち
お互いに言い争うこともあったが、A氏は懸命に捜査を続けてくれていた。その人が担当を外れることは、逮捕が取り止めになったことと同じくらい、私にとって大きなショックだった。
彼は電話で最後にもう一度、
「力不足でごめんなさい」
と言った。私の口からは、
「本当にありがとうございました。お疲れ様でした。これからもお体に気をつけて」
という以上の言葉が出なかった。また、この事件のせいでA氏の仕事に影響を与えたことをお詫びして、電話を切った。一被害者、一捜査員という立場で今まで相当ぶつかり合ったが、戦友と突然別れるような寂しい気持ちになった。
言葉にできないあらゆる感情と共に、涙が溢れた。体の力が抜け、ベルリンの住宅街の道で一人途方にくれた。本当にすべての道を塞がれてしまったのかもしれない。私のような小さな人間には、もうこの目に見えない力に立ち向かうことすら許されないのだ、と感じた。
警視庁上層部の判断。
わかっていたことはそれだけで、これからも一捜査員、一被害者が真相を知ることはできないのだと思った。
担当していた検事も……
何か他のルートで調べる方法はないのか。
「どこに聞けばいいのだろう」そんな考えがぐるぐる頭を回った。
私はすぐに、泊まっていたドイツの友人宅に戻り、キッチンから電話をかけた。当時この事件を担当していたM検事に、話を聞きたかったのだ。
M検事あてに電話をかけると、「M検事はこの件から外れた」と、電話に出た人は言った。この人もだ。逮捕のストップがかかった当日に、この件を担当していたA氏も検事も、誰もいなくなった。
西日の強く差すキッチンで、野菜や果物がたくさん入ったバスケットを眺めながら、今すぐにでも真相を追求しに東京に戻るべきだと思いながら、一方で日本にいなくて良かった、と思った。
よく晴れたとても爽やかな日だった。いつもの曇りきったベルリンの空ではなく、天気だけは良かった。少なくとも、今日この街で電話を受けたことは救いになった。
帰国すれば、逮捕されなかった山口氏は、そのままTBS本社で働いているのだ。私の職場の目と鼻の先にあるビルであった。日本に帰ることそのものが嫌になった。