▼〈ハラールをたどって3 べらんめえ調のタタール人〉6月6日、朝日新聞夕刊(筆者=萩一晶)
思わず「えっ」と声が漏れた。
朝日新聞の夕刊のかなり目立つところに、ロイ・ジェームスの顔写真が掲載されている。
「ハラールをたどって」という連載の3回目で、この好企画では日本に住むムスリムの知られざる歴史と現状を、人物に焦点をあてて描いていた。
「ロイ・ジェームス」の名を見てぴんとくるのは、おそらく50代以上の読者に限られよう。記事には「日本が高度成長していたころ、テレビで活躍した外国人タレントの草分け」と紹介されている。
「西洋人の顔立ち。なのに、べらんめえ調で立て板に水。そのしゃべりを見て、『なんて日本語のうまいアメリカ人なんだろう』と思った」
記者の萩一晶さんは、こう書いている。
ところが、ロイはアメリカ人でもイギリス人でもなく、「トルコ系少数民族のタタール人」なのであった。生まれたときの名は「アブドゥル・ハンナン・サファ」といい、父は代々木にあったモスクの導師を務めていた。おそらく日本の視聴者の大半は、白人だからクリスチャンにちがいないと思い込んでいたはずのロイ自身も、実はムスリムであったのだ。
私は、もう30年ほども前になろうか、ロイを始めとする在日タタール人について、一冊のノンフィクションにまとめようと企画したことがある。諸般の事情により、事前調査の段階で企画を中断せざるをえなくなったのだが、在日タタール人に関する資料はかなり集めたものだ。
記事のとおり、1917年(大正6年)のロシア革命後、数百人のタタール人がシベリアから朝鮮半島を経て日本に逃れてきた。トルコ研究者の松長昭さんが、
「亡命タタール人こそ多くの日本人が初めて出会ったムスリムの人々だった」
と述べているように、大正時代後半から昭和4、50年代ぐらいまで、日本人は意外なところで彼らに接したり見かけたりしていた。