以下の記述は、おそらく記者の萩さんが調べたものの、紙幅の都合で盛り込めなかったと思われる事実である。
在日タタール人たちは、神戸にひとつの拠点をかまえ、貿易商や洋品店などを営むかたわら、各地への行商にも出かけていた。全国を巡回するサーカス団の団員にも、少なからぬタタール人がいた。
昭和30年代から50年代にかけて活躍したプロレスのユセフ・トルコというレフェリーがいたが、彼もタタール人とされている。「トルコ」という名に、自分がトルコ系である思いを込めていたのかもしれない。ただ、それに気づいたプロレス・ファンがどれほどいたことか。
記事には、ロイ・ジェームスの現在79歳になる弟も登場し、
「友達にロイとジェームスがいて、そこから名を取ったって兄貴は言ってました」
と芸名の由来を説明している。だが、裏には複雑な事情があった。太平洋戦争中、在日外国人は軍や警察の監視対象となり、ロイたちも収容施設に集められた。そのおりイジメられていたロイを助けてくれた2人のイギリス人の名前が「ロイ」と「ジェームス」であったと、ロイ本人がインタビューで明かしていた。
以下も記事には出てこないが、ロイの日本人の妻は三島由紀夫の『鏡子の家』のモデルにもなった才色兼備の女性であった。ロイが東京・多磨霊園の“外人墓地”に土葬されたとき、彼女は墓にとりすがって泣いたという。
夫妻の間にはひとり娘がおり、ロイが50代で亡くなる直前の病床で、虚空を手のひらで階段のように刻みながら、「人生は一段一段だよ」と懸命に伝えようとしていたと、私が調べた資料にはあった。