「オレ散髪するのがうまいんや! 自分で髪切ってるんや。君もやったるわ」

 そう言うや否やチョキチョキと研究室の友人の髪の毛を切り始めた……そんな逸話を持つのは、今年のノーベル化学賞に決まった北川進氏(74)=京都大学特別教授だ。そのユニークな素顔とは――。

北川進氏

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同窓会で「そろそろノーベル賞かなぁ」

 夢の材料と呼ばれ、地球環境分野で実用化が進む「多孔性材料」を開発して受賞となった北川教授。1951年生まれで、京都市の中心部である四条河原町で3人兄弟の長男として育った。小学校の同級生・林泰之さんが振り返る。

新聞の号外も配られた

「1学年1クラス(40人程度)だけの小さな学校です。和気あいあいとした雰囲気で6年間一緒でした。北川君はガリ勉タイプということもなく、三角ベースをやってよく一緒に遊んでいましたよ。友達同士の喧嘩があると『分かった。もう仲よくしよう』と間に入るようなタイプです」

 近所の市立中学校へ進学すると、バレーボール部で活躍した。

「身長が高く、エースアタッカーでキャプテンでした。集中力が凄くて、試合に負けると『次は頑張ろう』と皆に声をかけ、人がついていくようなリーダーシップもありましたよ。今年3月の同窓会では、本人も出席して、『そろそろノーベル賞かなぁ』と話題になっていましたね」(バレーボール部の同級生)

ノーベル化学賞を受賞した

年上でも“君付け”で呼ぶ

 文武両道を地で行く北川青年は、地元の公立高校から京都大学工学部へ進学。ここで、アジア人初のノーベル化学賞を後に受賞する故・福井謙一氏一門の研究室へ入った。

「この研究室は各々が好きなテーマを研究し、自由闊達な雰囲気が特徴でした。ある時、北川さんに『勉強不足だぞ』と私が指摘すると、『森島さんこそ勉強不足だ!』と言い返してきたことも。負けず嫌いな性格で、そこが研究者向きで伸びると思いました」(指導教官だった京都大の森島績名誉教授)

 修士課程を終えると、民間企業へ就職するか博士課程(ドクター)へ進むか迷った。だが、能力を高く評価していた森島氏から「ドクターへ行ってみないか」と助言を受け、本格的に研究者の道を歩み始める。

 同じ研究室で隣に机を並べたのが冒頭の“散髪事件”の相手で、50年以上の付き合いだという親友の増田秀樹・名古屋工業大学名誉教授だ。

「自主性と平等を重んじる研究室だったので、教授に対しても『先生』ではなく、『さん』付けで呼ぶ。『先生』と呼べばそこで上下関係が自然と生まれてしまうわけです。そうした風土とはいえ、北川君は、年上の私を『増田君』と呼んでくるのです。ですからカチンと来た私は『何や北川!』と呼び捨てしていましたね(笑)」