エンディングノートで見えてくる私らしい終活の形
「まさか」はある日突然やってきます。もしも倒れたとき、周囲の人に自分の状況や思いを伝える準備はできているでしょうか。相続や遺贈の専門家である遺贈寄附推進機構代表の齋藤弘道氏に、終活でやっておくべき対策や、エンディングノートの活用法を聞きました。
スマホを開けられないと手続きの難易度が変わる
代表取締役 齋藤弘道氏
さいとう・ひろみち
みずほ信託銀行、野村信託銀行などを経て、2018年に遺贈寄附推進機構株式会社を設立。全国レガシーギフト協会理事。新著に『おひとりさまのためのエンディングノート』(縁ディングノートプランニング協会監修、文藝春秋刊)。
──40代、50代の元気な女性でも、早めに終活をしたほうがよいでしょうか。
齋藤 「終活」というと、どうしても高齢者向けのものだと思いがちです。しかし60代でランニング中に倒れた人もいますし、40代半ばの働き盛り年齢で大動脈解離のため意識不明になった人もいます。もしもそうなったとき、必要な情報をどのように伝えればいいか、考えたことはありますか。万一の事態は「自分にも起こりうる」と捉え、元気なうちに意思表示や情報を整理してエンディングノートなどに残しておくことが、周囲の方やご自身を守るために重要となります。
──終活で押さえておくべきポイントはありますか。
齋藤 スマートフォンのパスワードは、エンディングノートなどに残しておいてほしいですね。金融機関のオンラインサービスは二段階認証に携帯電話を使ったSMSを採用しており、スマートフォンを開けないとそうした財産の大部分にアクセスできなくなる恐れが出てきます。特に近年はデジタルコンテンツが増えていますので、契約しているサブスクリプションなど各種サービスのID・パスワードもエンディングノートなどに記録しておくといいでしょう。
ご自身の医療に関する意思決定を託す「キーパーソン」と、延命治療の希望の有無などを決めておくことも大切です。意思表示があるかないかで、選択を託された人の心理的負担は大きく軽減します。さまざまな情報がまとまったエンディングノートは、終活に関する自分の考えにアクセスするための結節点(ハブ)として機能します。
とはいえ、エンディングノートを作ることが重荷になってしまったら本末転倒です。遺言にせよ、エンディングノートにせよ、あまり気負わず、「ためしにやってみる」くらいの気持ちで書いてみてください。実際に書き始めてみると、何を準備すればいいのかがクリアになってきます。
「おひとりさま」の増加で高まる遺贈寄付の重要性
──エンディングノートに加えて、遺言も必要でしょうか。
齋藤 エンディングノートと遺言では役割が異なります。遺言には相続に関する法的効力があり、家族へ引き継ぐ財産の配分を指定するだけでなく、知人への遺贈にペットの世話を条件に付けたり、公益団体に遺贈したりとさまざまな使い方ができます。特に遺贈寄付は、おひとりさまが死後の財産の使い道に自分の意思を反映できる手段として注目されています。近年、子どものいない世帯は増加傾向にあり、2020年時点で50歳女性(1970年生)の生涯無子率は27%に到達しています。今後、子どもに財産を相続させることがないおひとりさまが増えていくなかで、資産をどのように引き継ぐのかは大きな課題です。そこで自らの意思で資産の承継先を決められる「遺贈寄付」は自己実現の重要な選択肢となっています。
──遺贈寄付は死後の寄付になります。どのように準備しておくのでしょうか。
齋藤 遺言や信託、生命保険の活用など、遺贈寄付の実現方法はいくつかあります。なかでも遺言を使って遺贈寄付の意思を示すケースが一般的です。遺言は富裕層だけの特別なものとして捉えられがちでしたが、最近では制度が見直されています。特に自筆証書遺言は、法務局保管制度ができたことでぐっと手軽になりました。しかし、ご自身の意思を確実に反映したいのであれば、専門家に相談のうえ、公証役場で公正証書遺言を作成するとよいでしょう。
──遺贈寄付をするうえで、気をつけるべきことはありますか。
齋藤 遺言の執行をだれに指定するかはしっかり検討しておきましょう。というのも、遺言執行の経験の浅い事業者が十分確認せず遺言執行を引き受けた結果、せっかく遺贈を指定したにも関わらず、条件が合わず団体側が遺贈を放棄するケースがあるからです。
不動産や有価証券など現金以外の財産や債務を含めてすべて遺贈寄付する包括遺贈は、団体側が受け取れるかどうかの事前調査が必要になってきます。遺贈を検討している場合は、寄付を予定している財産について、寄付候補の団体に事前にご相談いただくことをお勧めします。そうすれば、どんな方法なら思いを受け止められるのかを団体側が一緒に考えてくれるはずです。
一人ひとりの行動が社会を変えていく
──遺贈寄付先はどのように選べばよいのでしょうか。
齋藤 一度よく、これまでの人生を振り返り、自分が最も共感できる「社会課題の解決」を考え、それに取り組む団体を選ぶと良いでしょう。その課題は人それぞれ。困難な状況にあるお子さんを支援したい、病と闘う人のための治療法開発を後押ししたい、あるいは難民や紛争の被害者を助けたいという方もいらっしゃるでしょう。寄付を通じて自分が誰かの助けになると感じられることは、これからの人生に大きな誇りと充実感をもたらしてくれるはずです。
──遺贈寄付は、日本の社会をどう変えていくと考えますか。
齋藤 日本の社会は、高齢世代に多くの金融資産が集中しています。今後、資産を残す側も受け取る側もともに高齢である「老老相続」が増えていくと予測されており、資産の偏在はさらに加速していくでしょう。しかし見方を変えれば、シニア世代の意思次第で、より良い未来を引き寄せられるということでもあります。相続の際にたとえ1%でも遺贈寄付することで、未来をより良い方向へ動かす大きな助けになります。遺贈寄付を通じて、「眠れる資産」が社会を変えていく。そんな流れが生まれればと願っています。
ライターMが実践
43歳、夫が倒れた! 夫婦のエンディングノート作成記
私は43歳、夫は50歳。終活はまだ先かと考えていたが、ある日夫が倒れて状況は一変。幸い大事には至らなかったものの、「もしも今、夫婦のどちらかが倒れたら、子どもはどうなる?」と真剣に考えるように。切実さに後押しされ、夫婦のエンディングノートづくりが始まった。
夫の意外な一面が見えた
夫婦で一緒にエンディングノートを作るといっても、思い出の振り返りや資料の確認が必要なページはひとまず後回し。お互いがキーパーソンとして関わり合う項目についての現実的な話し合いが中心となった。
夫婦の意見が一致したのは「葬儀は身内だけで簡素に」「死後に財産に余裕があれば遺贈寄付をしたい」という2点。普段は野球やプロレスにしか関心を見せない夫が、遺贈寄付の意向を見せたことにはちょっと驚いた。しかもお互いに相談なく書いていたにもかかわらず、希望する寄付先は二人とも同じ団体。生活のなかで同じニュースを見て、同じように心を痛め、「何かしたい」と思っていたようだ。夫婦の不思議な共通点に、温かい気持ちになった。
悔やまない選択はできない
延命治療や胃ろうの話し合いは長くかかった。夫は「延命治療は不要。胃ろうも希望しない」と言い切るが、もしも夫が若くして倒れ、人工栄養の処置で生きられるとすれば、私は治療の選択肢を諦められるだろうか。夫は義母の胃ろうを決断しているので、「どうしてお義母さんには胃ろうをしようと思ったのか」と尋ねてみた。
義母が倒れたのは5年前、70歳の時だった。わずかだが呼びかけに応える義母を前に「治療せずに死なせる」決断は、夫にはできなかった。その後、義母はゼリーを口から食べられるまで回復した。しかし寝たきりの生活がつらいのか、時折「死にたい」とこぼしているという。
「胃ろうにして良かったと思う面もある。けれどつらそうな姿を見ると、今からでも治療を中止すべきなのか、面会のたびに悩んでいる。正直、家族の命に関わる事柄で悔やまない選択はできないと思う。同じ思いをさせないためにも、自分の意思を示しておきたい」と夫は話す。
エンディングノートに「胃ろうを望む/望まない」と一行書くのは簡単だ。しかしその決断は後々まで家族へ影響を与える。生死にかかわる判断だからこそ「決断に至った考えの経緯まで、丁寧に話し合ったほうがいい」と強く感じた。
「保留」だらけでも構わない
このほかにも介護の受け方や互いの実家との付き合い方などで意見が分かれる部分はあったが、無理に結論は出さなかった。その結果、私たち夫婦のエンディングノートは驚くほど「保留」が残るものになった。しかしお金、死生観、実家との関わり方などこれまで真正面から話すのを避けてきた重いテーマを共有し、一歩踏み込んだ話し合いができたことで、終活の現在地が見えてきたように感じる。
エンディングノートは、夫婦それぞれで保管し、「ここに置いてあるから」と場所だけ伝えている。今後状況が変わるたび、例えば誕生日にでも、定期的に見直そうと決めている。