「クズはクズのまま」
以下、まずは山本が刑務官に述べ、「心情等録取書」に記された言葉を記していきたい。
やるせない、許せない気持ち。いったいどうしてくれるのか。憎い。夢や希望を奪われた。悔しい。娘の夢は「やりたいノート」(筆者註:渡米したいという夢や手に入れたい品物が記されたノート)に記し、その一つは私のような会社員になることだった。早い時期に働き始めて、夢のために転職してそれを叶える準備を進めていたところでの事件だった。私は、これからも喧嘩はしただろうけど、会話をしながら娘と生きていきたかった。娘の祖母は「孫(申出人の娘)の顔が見たい」と言っていた。
加害者からの謝罪はパフォーマンスにしか見えず、信用できない。謝罪をされても、許さないし、憎しみが倍加するが、それでも加害者は本心から謝罪すべきではないか
ここで遺族は「謝罪」という言葉を使っているが、それは刑事裁判の中で弁護人から「被害者の家族に謝罪の言葉は?」と問われると、「自分が生活を壊してしまったと思います」と加害者は答えたものの、「ごめんなさい、の言葉はある?」と重ねて聞かれると、「とくにないです」と答えるだけで、謝罪の言葉を口にしなかったことを指している。
どうして娘はこんな事件に巻き込まれなければならなかったのか。事件当日に娘が出掛けることを引き止められなかったのかと後悔している。加害者は常軌を逸していると思う。(公判に参加して)胸がえぐられる思いがあった。あんなことをして、しかも謝罪もせずに、よく生きてられますよね。加害者が生きていることが悔しいし、歯がゆい。加害者は一生苦しんで辛い思いをすればいい。幸せになる権利はない。加害者もその家族も呪ってやりたい気持ち。(公判での)「クズはクズのまま」という供述を聞いて、「ふざけているな」と思った
「クズはクズのまま」という加害者の発言は、公判中に山本の代理人弁護士から「あなたがこの事件と向き合っているとは思えない」と説諭され、自身の更生について問われたときに出たものである。「人間、クズはクズのまま変われないと思う」「(更生は)できないと思う」と発言したのである。加害少年は刑事弁護人との意思の疎通ができていなかった、いや、加害者にそのつもりがなかったことが私には想像できた。
「心情等録取書」に記された、遺族である山本の言葉は続く。
加害者に「私の気持ちが届かないのでは」と不安。一生、十字架を背負って生きてほしい。加害者は、今のままでは世の中に戻ってきてはいけない人だと思う。娘を加害者のような人間に性の対象として見られたのかと思うと気持ちが悪い。加害者も親との関係も通常ではないと思う。親が親なら子も子だと感じた。加害者には死んでもらいたいくらいの憎しみを抱いている。(加害者が)生きていることが税金の無駄遣いだと思うくらい怒っている。世の中にいらない命があるとすれば、それは加害者とその母親の命だと思うくらいの怒りを抱いている
山本は加害者の母親に対して、親の監督義務を問う損害賠償請求訴訟を起こしていた。少年の母親は、「息子を監督する義務に違反していない」と、自らに責任はないと主張し、争う姿勢を見せている。
