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画面から消えた?! 衝撃の来日デビュー戦

 斉藤和巳氏も「覚えている」と大笑いした来日デビュー戦は、それはもう爆笑珍プレーの連続だった。まず右翼線の打球判断を誤った。次の回は右中間へのライナー。「テレビで見とったら、フリオの姿が画面から突然消えたんですよ(笑)」(斉藤和巳氏)。走り出そうとしたらスパイクが片方脱げて足をずるっと滑らせた。当時センターを守っていた村松有人・現コーチも「あのシーンだけは忘れない」と笑っていた。

 その後もう一本、右中間への当たりが飛んだのだが、今度は追う姿勢も見せないというまさかのオチ。今となっては笑い話だが、試合後に取材した外野守備担当の島田誠コーチは「外野起用はもうない」とカンカンに怒っていた。

 しかし、バットの方では初めから大活躍だった。阪神と日本一の座を争ったこの年の日本シリーズでは第1戦でサヨナラヒットを放っている。

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2003年の日本シリーズでサヨナラ安打を放ったズレータ ©文藝春秋

 ズレータが振り返る。

「あれは本当に忘れることのできない試合。日本のファンに覚えてもらおう、長く日本でやりたいと思っていた。それに先発でカズミも投げていたし、絶対に打ちたかったんだ」

 ズレータは2年目の2004年に37発、翌年は先述したように43発を放ってホークスに欠かせない大砲として大活躍した。

 とてもマジメで大はしゃぎするようなタイプではなかったが、斉藤氏によれば「すごくイタズラ好きで、僕がストレッチをしていると後ろから突然抱きついてきたりして、日本人選手ともコミュニケーションを図っていた」という。確かに日本の文化や日本語を吸収しようとする姿勢はとても熱心だった。

 だから“斉藤選手会長”の時代は「僕はフリオのことを外国人選手として見ていなかった。若い選手の模範に、チームの先頭に立ってくれという考えを伝えていました」と明かした。

懐かしのパフォーマンスを披露

 ズレータがホークスに在籍したラストイヤーの2006年は、プレーオフ第2ステージでチームは敗退した。舞台は札幌ドーム。斉藤和巳投手がマウンドで崩れ落ちたあの試合だ。その時、ズレータは同僚のホルベルト・カブレラと共に一目散に駆けつけ、涙にくれる斉藤投手を担ぎ上げてベンチへと連れて帰った。負けて悔しかったのは同じだったに違いない。それよりも斉藤投手のことを思いやったあのズレータの行動は2人の確かな信頼関係の証であり、今もホークスファンのみならずプロ野球ファンに語り継がれる名シーンとなった。

 日本球界を離れた後のズレータはフロリダに居を構え、バッティングセンターを経営して野球教室も行っていたが、数年前に知人の野球選手へ売却したという。現在は不動産業に従事している。斉藤和巳氏いわく「自宅の映像を見たけど驚くほど広かった。遊びに来いよって言ってたから、日本に戻ってくる可能性はないっぽいね」。ただ、ズレータは「体を見てもらえれば分かると思うけど、日本で復帰する準備はいつでもできているよ。今のヤフオクドームにはホームランテラスが出来たんだね。僕が現役の頃にあれば60発は打てたのに(笑)」と口も滑らかだった。

 今回、取材の最後にどうしてもお願いしたいことが1つあった。

<ホームランを打った後のパフォーマンスを読者に届けたいんです>

 ズレータはそれを快諾。

「チョップ、チョップ、パナマウンガー! よかろうもん!」

 うわ、めちゃくちゃ懐かしい。

「決してあきらめず、一生懸命プレーして勝利のために全力を尽くす。この日本のサムライ精神にぼくは共感しているんだ。それに僕は日本とパナマの架け橋になりたいんだ。日本のサムライと日本で有名なパナマ運河を取り入れたパフォーマンスは、僕が日本のサムライ精神を持ったパナマ人だという思いの表れなんだ」

 ホークスでプレーしていた当時、そのように語っていた。「よかろうもん」は、当時まだ東京進出前だった博多華丸さんが考案したもので、ズレータがそれを気に入って使用していた。ちなみにロッテ移籍後はその部分を「幕張ファイヤー!」に自己アレンジしていた。

 

 再会を果たした“パナマ侍”はとても元気そうで何より。そしてこの日の試合、助っ人パワーが届いたのか、延長12回にグラシアルがサヨナラ満塁本塁打を放つ劇的決着で西武に勝利した。さあ本家ペナントレースも面白くなってきた。

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