黝い煙を吐き出しながら
白い曠地を切り裂いて
冬の機関車は
走ります
きみの街はもうすぐなんです
ゴオ
ゴオ
ゴオ
と
雪の銀河をぼくは
まっしぐらなんです
「抱きしめたい」
(作詞:松本隆 作曲:大滝詠一)
京都の学生たちが熱狂的に受け入れてくれた
松本さんが初めて京都を訪れたのはそんなとき。学生運動が高揚していた時代、岡林は社会への不満や理想への希求を代弁する「フォークの神様」としてカリスマ的人気を誇り、学祭やフォークイベントに呼ばれることが多かった。中でも京都は岡林の本拠地だったため、松本さんたちも京都へ行く回数が自然と多くなった。
「京都会館でやったり、京大の西部講堂でやったり、彼の出身校の同志社でやったり。同志社は階段状の大教室でやったのを覚えてる。ぼくらはデビューしたばかりで無名の存在だったけれど、学生たちは熱狂的に受け入れてくれた。岡林のバックバンドというのは大きかったとは思うけど、日本語のロック、文学的で知的なロックというぼくらの世界観をいちばん最初にわかってくれたのは、東京ではなく京都の学生たちだったんだ」
伝説的なライブイベントが京都大学西部講堂で
京都大学西部講堂近辺も散策してみる。西部講堂は、六〇年代末~七〇年代初頭は学生運動の拠点になるとともに、勃興した日本のロックシーンと結びつき、「FUCK ’70」や「MOJO WEST」といった伝説的なライブイベントが行われ、アンダーグラウンド文化の拠点となった。七一年三月の「MOJO WEST」第一回、同年六月に行われたライブイベントなどにはっぴいえんどは出演している。
あいにく敷地内に立ち入ることはできず、通りから中をうかがう。生い茂った木々のむこうに、西部講堂の屋根瓦とそこに描かれた三つの星が見えた――屋根の星は自由・独立・異端を意味するとか、オリオン座の三つ星を意味するとか、いろんな説がある――。
「西部講堂のどのイベントだったかは忘れてしまったけれど、京大の近くのお寺にみんなで泊まったことをよく覚えているんだ。あれはどのお寺だったんだろう」


