「ねえ、ぼくの"風街"めぐりをしてみない?」から始まった、松本隆さんの人生と創作活動にゆかりのある場所をめぐる旅。この好評連載が書籍『松本隆と風街さんぽ』になりました。発売を記念して京都編の一部を抜粋します。


カウンターカルチャーが生まれる街

「ぼくは、はっぴいえんどのころから京都に住みたいとずっと思ってた。古い伝統文化を守りつつ、カウンターカルチャーが生まれる街であることに惹かれたからなんだ」

 二〇二五年三月某日。松本さんとわたしは京都会館(ロームシアター京都)前に佇んでいた。

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「ここですね?」とわたし。

「ここなんだ」と松本さん。

ここで初めて演奏したのは21歳のときだった。

 平日だというのに、建物周辺は多くの人で賑わっている。併設のカフェも満員だ。平安神宮がそばにあるからか、外国語も飛び交う。

「五十五年前にここで演奏を?」

「そう。十年ほどまえ、改修してネーミングライツで『ロームシアター京都』に名前は変わったけど、うまくリフォームしているから雰囲気は変わってない。はっぴいえんどでライブをした、あのころと一緒なんだ」

「あの頃と一緒なんだ」と松本さん。

「詩はあふれるように湧いて出てきていたんだ」

 二〇一二年に神戸に移住し、翌一三年には京都にも住まいを構えた松本さん。「なぜ京都に?」という問いには、東京がイヤになったから、という答えがよく返ってくる。でも、今回の“京都さんぽ”で、その「なぜ」をもう少しわかりたい、とわたしは考えていた。

 まずどこへ行きますか、と松本さんに聞くと、「京都会館だね」と即答した。

京都会館ができたのは1960年。前川國男による設計だった。

 一九七〇年。アルバムデビューを果たしたはっぴいえんどは多忙を極めていた。自分たちの活動に加え、岡林信康のバックバンドの活動も並行して始まったので、楽器を抱え北へ南へと列車移動する日々が続いたのだ。

「でも忙しいけど、詞はあふれるように湧いて出てきていたんだ。だから、移動中の列車で書くこともあったよ」と松本さん。「はっぴいえんど単体のコンサートが青森であった、その帰り。列車から雪景色を眺めていたら言葉が浮かんできたんだ。当時、特急列車には食堂車がついていて、白いクロスのかかったテーブルの上には紙ナプキンが置いてあった。それに急いで書き留めた。で、大滝さんに渡したんだ。曲つけてみてって」