忘れられない過去を“再演”する
サラとデヴィッドは、不思議なドアの向こうで人生のターニングポイントを“再演”する。「彼らは過去に戻るのでも、過去を変えるのでもなく、自身の過去を演じます。それは、ふたりが真実にたどり着くためのパフォーマンスなのです」。
“演じること”は全編を貫くキーワードだ。映画が進むにつれ、彼らが過去を演じる場所は現実的な空間を離れていき、ときには何の小道具も置かれていない舞台空間になる。
いわば本作は、旅のなかで関係を深めてゆく男女の物語であり、同時に、実際のドラマセラピー(演劇療法)をそのまま映画にしたような作品なのだ。コゴナダ自身、「これは独特の恋愛映画になる」と直感したという。
「患者が過去を演じ直すことで癒やしに向かうセラピーが現実にあるように、芸術や演技には、過去に向き合い、過去を癒す力があります。アメリカの典型的な恋愛映画では愛の障害が外部にあり、愛し合うふたりを第三者が阻みますが、本作ではふたりの内面に障害がある。人生の不具合を理解し、乗り越えなければ、彼らは他者とつながれないのです」
「すこし・ふしぎ」な世界観や設定、カラフルなビジュアルに、コゴナダは演劇的な要素を大胆に取り入れた。デヴィッドが少年時代を再演するとき、その姿が当時の年齢に戻ることはない。あくまでも生身のコリン・ファレルが、少年のデヴィッドを演じるのだ。
「舞台上ではなんでもできます。役者が突然別人になっても、あるいは“僕は12歳”と言って子どもになっても観客は受け入れる――知的な理解を超え、感情で受け入れるのです。映画と演劇は異なる芸術形式ですが、今回はその境界線で遊びたいと考えました」
頼りにしたのは映画ならではのCGやVFXではなく、舞台と同じく“観客の想像力”だった。
「たった一枚のドアが、我々の想像力でどこにでも通じる――そんな演劇的な特殊効果は、たとえ観客全員に受け入れられないとしても、感動的で、心を揺さぶるものです。演技が真実に到達すれば、それは“本物以上の本物”になりうる。人間として共感できれば、より深い感動が生まれるはずです」
ともにこの挑戦に臨んだのが、主演のロビーとファレルだった。その力量は、思索的でシリアスな中盤にさしかかるより以前、コメディタッチの前半から明らかだ。コゴナダは「僕はスラップスティックなロマンティック・コメディが大好きなのです。脚本を読みながら、ハワード・ホークスやエルンスト・ルビッチの映画を思い出していました」と話す。


