いつだって全力プレーだった男
常に全力でプレーする姿にどれだけの感動と興奮をもらったか。‘12年のCSファイナル第3戦もそうだった。「下剋上」を目指して札幌ドームに乗り込んだが、ホークスは連敗スタート。あとがない第3戦も初回に3失点して、チームの士気は正直落ちまくっていた。 そんな雰囲気の中の4回裏の守備で、本多はファールフライをダイビングキャッチした。しかし、顔面からフェンスに突っ込み、首痛をまた悪化させて担架で運ばれた。
あれを見た時は本当につらかった。けれども、本多は次のシーズンも、そのまた次のシーズンもいつだって全力プレーだった。
だけど、現実は厳しかった。出場機会が徐々に減っていった。‘16年のオフ、本多の去就に注目が集まった。FA権を取得している中で複数年契約を満了したのだ。移籍の噂がしばしば聞かれた。
でも、本多はホークスに残った。
「この世界、地元愛だけではやっていけないのは誰しも分かっていることです。だけど、自分が福岡で生まれ育ち、高校(鹿児島実業)と社会人(三菱重工名古屋)では離れましたが、プロ野球選手として福岡にまた戻って来られて今がある。その思いはずっと頭の中にありました。
それに、これだけすごい声援を送ってくれるスタンドは、すべての球団を見渡してもなかなかない。やっぱり福岡がいい。またこのチームで優勝したい。他の球団でプレーする気持ちにはなれなかった」
ここまで言ってもらえて、ホークスファンはますます惚れ直した。本多への声援は大きくなるばかりだった。
「ありがとうや感謝という言葉だけでは示せない」
しかし、昨年はついに、故障以外での二軍落ちを初めて味わった。悔しかった。プロ13年目の2018年こそ、絶対に活躍するんだ。クリスマスも過ぎた昨年末の年の瀬になっても、午前9時から午後4時までの練習を怠ることはしなかった。真冬の筑後川の河川敷をものすごいスピードでダッシュした。今年、開幕スタメンに名を連ねたが、成績が振るわずにまた二軍生活が長くなっていた。
9月になり、秋の気配が漂い始めた筑後で本多と会うのは気まずかった。選手と取材者という関係だが、十何年もこの世界に居るのだから大体のことは分かる。「ナイスヒット」とか「あの守備、さすが!」とか声を掛ければ、笑顔で答えを返してくれる。でも、会話が続かない。胸が締め付けられる思いだった。
今年、首の状態はかなり悪かったそうだ。
「突然電気が走ったような感じになる。そうすると腕を上げることもできないから、日常生活にも支障が出る。今年は少なくとも3度ありました」
引退会見では本多の人柄がそのまま表れていた。
ファンへの思いを訊かれると「ありがとうや感謝という言葉だけでは示せない」と目に涙をためながら思いを口にした。
そういえば昨年の後援会のとき、本多は約400名の出席者全員へ「報恩謝徳」の四文字とサインを記したボールを手渡した。受けためぐみや恩に対して報いようと、感謝の気持ちを持つという意の四字熟語だ。
「感謝という言葉だけでは何か違うと思ったんです」
駆け抜けた野球選手人生。本多は「寂しさはある。だけど、後悔はない」と言った。
引退試合では、スタメン起用される見込みだ。
「最後の1試合になると思うと寂しい。だけど、今まで野球をしてきて、心の底から楽しいと思ったことはそんなにない。最後の引退試合は思う存分楽しんで、感謝の気持ちを持って、試合に臨みたい」
本多雄一の最後の全力プレーをみんなでしっかりと見届けよう。涙で霞んでしまうかもしれないけど、背番号46の躍動を心に刻みたい。
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