49歳で卵子提供を受け、ニューヨークで出産したこりんごさん(52)。現在はYouTubeやブログで不妊治療や高齢育児について発信を続ける彼女だが、そもそもなぜニューヨークへ移住したのか。
「一度外の世界を見ておきたい」と単身ニューヨークへ
群馬県出身のこりんごさんは、28歳まで病院で歯科衛生士として働いていた。福利厚生も整い、親も友人も近くにいる。「敷かれたレールをそのまま歩いてきたような感じ」の日々だったという。そんな彼女は「一度外の世界を見ておきたい」と旅行会社に相談し、「地下鉄が便利だし、見るものもたくさんあって刺激的でいいのでは?」と勧められ、ニューヨーク行きを決めた。
しかし着いた瞬間、「この街に住まなければ!」と直感する。家族や友人からは「今ニューヨークで暮らすなんてお前は死にたいのか!」と大反対された。2002年、9.11の翌年のことだ。それでも彼女は「だったら挫折しに行ってきます!」と言い放ち、就労ビザのスポンサーを探して移住を実現させた。
ニューヨークに住み始めると、やりたいことが次々と湧き出てきた。ダンスを始め、ギターを習い、やがてドラムへ転向。「ドラマーは不足しがちで、どこのバンドもドラマーばかり募集してた」と気づいたこりんごさんは、すぐさまドラムに切り替え、あっさりバンドに加入してステージに立った。「そういう街なんですよ」という一言に、ニューヨークへの愛着がにじむ。
群馬にいた頃はダンススタジオも音楽仲間もなく、チャレンジする環境すら整っていなかった。「モチベーションはもらえない」場所から、何でも実現できる街へ。その経験が、こりんごさんを変えた。
やりたいことを次々と実現する中で、こりんごさんは39歳で「子どもを産む」という新たな目標を見つける。しかし、それはバンド加入のように簡単にはいかなかった。当時こりんごさんにはパートナーがいなかったため、精子バンクを使った妊娠も考えたが、金銭面や環境を踏まえ、断念。
「当時も精子バンクのインフォメーション詐欺があって、高い値段で精子を売ってたけど、実はその精子提供者の学歴が大卒じゃなかったみたいなニュースを見ていたので、だったら生身の、現実の知り合いのほうがよっぽどいいだろうと思って、友だちに頼んだんですよ」
しかしその友人から「今後、この人の子どもが欲しいと本気で思える相手が出てきたらどうするんだ」「僕の精子を使って生まれた子が、いくら僕と関係のない間柄とはいえ、その子が非行にでも走ったら僕は心が痛むよ」と諭され、断念したという。
その後、16回以上の体外受精に挑むなど、その道のりは壮絶なものとなった。インタビューの続きでは、39歳での子作りの壁や、卵子提供を受けて妊娠した経緯なども明かされている。
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