東京を歩くと外国人の姿が非常に目立つようになったのは2013年くらいからだろうか。これを2020年の東京五輪開催が原因とする論調もあったが、その認識は間違いだ。東京五輪は東京の名前を世界に宣伝する効果はあったと思うが、今、五輪をやっているわけではないのに東京の街中には外国人が溢れかえっている。
30年で外国人在留者は3倍
外国人が増えたのは観光客が街中をうろうろするようになったからと多くの人は思うだろうが、実は在留者も増えている。東京都の発表によれば2018年4月現在の住民基本台帳ベースでの外国人在留者は52万2897人と50万人の大台を突破している。この数字は30年前の1988年が17万1276人であったことと比べると3倍に膨れ上がっている。
東京都は現在でも人口が増え続けているのは周知のとおりだ。2018年4月現在でその数は1366万7501人。これは前年同月比で0.7%の増加。増加数は9万7841人だった。しかし実はこのうち外国人在留者の増加分は3万2240人に及んでいる。なんと増加人数の約33%相当が外国人在留者の増加だったのだ。
新大久保が「イスラム横丁」と呼ばれるようになった
外国人在留者の国籍も最近では様変わりだ。30年前では4割近くを占めていた韓国・朝鮮系の人たちの割合が減少して今では17%程度になり、代わって中国人が4割を占めるようになっている。また近年増加が著しいのがフィリピン人、ベトナム人、インド人などだ。
彼らはどこに住んでいるのだろうか。韓国はひところコリアンタウンと言われた新宿区の新大久保近辺に多数住んでいたが、現在の新大久保は韓国系に加えてイスラム系の住民が増えている。新大久保の駅前はイスラム系住民のためのハラル食材を販売する店が増え、イスラム横丁と言われるようになった。
高田馬場が在留ミャンマー人の情報交換の場に
同じ新宿区内でも高田馬場界隈には現在2189人ものミャンマー人が住んでいる。都内在住のミャンマー人は約9700人なので約4分の1が高田馬場に集中していることになる。なぜ、彼らが高田馬場に集まってきたかについては諸説あるが、もともとは高田馬場から西武新宿線で2駅目の中井駅にミャンマー人の仏教僧侶が住みつき寺院を建立したことがきっかけと言われている。現在では高田馬場に日本ミャンマー・カルチャーセンターができ在留ミャンマー人の生活支援や日本語指導などが行われ、街には数多くのミャンマー料理店が開かれ、在留ミャンマー人の情報交換の場となっている。