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杉村太蔵が忘れられない明石家さんまの質問「冠番組と議員バッジ、どっちが欲しい?」

薄口政治評論家・杉村太蔵さんインタビュー#1

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将来の夢は「ウィンブルドンに出ること」

―― 友だちは多いほうでしたか?

杉村 うーん、友だちのことで悩んだことはないです。自分は友だちが少ないなとか、いじめられたとか、いじめたとか、そういう経験はまったくなかったです。だから子供の頃の話をすると、家内から「なんて幸せな人なんでしょうね」って、冷たく見られますけどね(笑)。ホント、子供の頃はテレビこそ見せてもらえなかったですけど、テニスでは全国大会に出て、運動神経抜群で、勉強はそこそこで、友だちに恵まれていたら、文句なくないですか。

―― テレビこそ見られなかったけど(笑)。その頃、将来の夢はあったんですか?

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杉村 やっぱりプロテニスプレイヤーになって、ウィンブルドンに出ることでした。

―― ちょうど松岡修造さんが活躍されているころ?

杉村 95年に松岡修造さんがウィンブルドンでベスト8に入った年、僕は高校1年生。それから間もなくして松岡さんは引退されて。引退された前年に、僕は高校3年生で国体で全国優勝したんです。

国会議員のテニス大会では小池百合子・現都知事とダブルスを組んだことも(2005年撮影) ©文藝春秋

ああ、そういえば『国会中継』を見ていました!

―― さすがにテニスの試合はテレビで見てました?

杉村 それは見まくっていました。父がNHKで深夜に放送していたのを録画してくれていたんです。当時、まだ画質が悪くて見づらかったですけどね……ああ、そういえば、やっぱり変わっている子と言えば変わっている子なんですけども、『国会中継』を見ていました!

―― 国会中継!

杉村 NHKですからね。これはね、母もよく覚えていると思う。それも予算委員会を何となく見ていました。

―― それは面白いと思って?

杉村 海部(俊樹)さんが答弁している印象は覚えています。90年ぐらい。小学校高学年だと思うんです。