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杉村太蔵が忘れられない明石家さんまの質問「冠番組と議員バッジ、どっちが欲しい?」

薄口政治評論家・杉村太蔵さんインタビュー#1

小学校の選挙では圧勝、圧勝

―― 芽生えですね。そのときに議員になりたいというのはあったんですか。

杉村 児童会長をやったり、生徒会長をやるぐらいですから、その頃からなんとなくあったんじゃないですかね。僕の小学校の文集には、将来政治家になると書いてあるんです。

―― 児童会長になるのは6年生とか。

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杉村 児童会の役員さんみたいのになるのは、小学校4年生の後期ぐらいから。で、副会長、書記を歴任して、会長になる。段階を踏んで(笑)。

―― 演説とかもやったんですか。

杉村 やりました! 選挙には全部勝って、圧勝、圧勝。9割以上の得票で勝ったんですよ。嘘じゃなくて。前期、後期って2期、その都度選挙ですね。全部勝ち。6年のとき、丸1年児童会長。そんな子でしたよ。なんか、笑ってしまいますけどね。高校はテニス部キャプテンですから。

 

父親の歯医者を継がなかった理由

―― 厳格なお父さんは歯医者さんだそうですが、歯医者になるという考えはなかったんですか?

杉村 僕は子供の頃からまったく歯医者になる気はなかったんですよね。もっと広い世界で仕事をしたいなと。こんな言い方したらいけないんですけど、なんで一生懸命勉強して、毎日、毎日具合悪い人の面倒を見なきゃいけないんだって(笑)。子供の頃はそんなふうに思ってましたね。

―― 杉村さんは長男ですから、説得は大変だったのでは?

杉村 高校3年生のときに「申し訳ないけど、人の口の中に興味がない」と言ったんです(笑)。父は、ショックを受けていましたよ。僕は大学なんか行く気なかったんです。働いて、すぐお金がほしくて。根っからの商人。お金を稼ぐことが好きなんです。それは今も変わっていない。だから高校を卒業したら地元の、高校のすぐ近くの自動車の修理工場に就職が決まっていたんですよ。ところがテニスで国体に優勝して大学にスポーツ推薦で行くことになった。恐らく東北も含めて、東北・北海道エリアで夏のテニスの優勝は歴史上、僕たちだけです!