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自分の息子がテロリストに殺害されているのに

 海外渡航の自己責任論を考える際、私が真っ先に思い浮かべるのが、2004年10月にイラクで斬首された香田証生さん(当時24歳)の死である。「アルカイダ組織」を名乗るグループが、香田さんを人質にしたとネットで犯行声明を出し、48時間以内の自衛隊撤退に応じなければ殺害すると脅迫した。これに対して日本政府は、テロリストに屈しないとの立場から、自衛隊を撤退させなかった。

 この半年前には、安田純平氏を含む日本人男女5人がイラクで相次いで拉致され、無事に解放されたものの、自己責任に関する批判はすでに高まっていた。そんな世論を忖度してか、香田さんの両親はテレビカメラの前で「みなさんに迷惑を掛けて申し訳ありませんでした」と謝罪をした。

告別式であいさつする香田証生さんの両親 ©時事通信社

 だが、冷静に考えてみれば、自分の息子がテロリストに殺害されているのに、謝罪をしなければならないほどに追い込む社会は、果たして健全と言えるのだろうか。

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 奇しくも香田さんの死から3カ月前、フィリピンのアロヨ大統領は、イラクで武装勢力に拘束されていたトラック運転手、アンヘロ・デラクルスさん(当時46歳)を救うため、武装勢力の要求に応じて国軍部隊を撤退させていたのだ。米国からの非難にも屈することはなかった。

 日本とフィリピンでは国情が異なる。香田さんとデラクルスさんも、渡航時の状況が違うはずだから、両国を単純比較してその是非を論じることはできない。日本は撤退させるべきだったのか、といった問題でもないだろう。

安田氏に同じ書き手として期待したいこと

 不慮の事故や災害に遭うといった偶発性の高い場合であればまだしも、そもそもどこまでが自己責任で、どこからがその範疇外なのかについては明確な線引きはない。それを判断する人が置かれた環境によっても異なる。

 たとえば、私は安田純平氏と同じフリーランスという立場だから、彼の取った行動に対しては理解を示したい。現場の状況は行った者にしかわからないし、現場に行った者にしか伝えられないことがある。一方で、公金を取り扱う政府の役人であればやはり、自己責任を盾に正論を振りかざすことになるだろう。

 私自身、困窮邦人の問題をはじめ、海外に渡航した日本人の取材を長らく続けてきたから、自己責任論には必ずぶち当たる。だが、突き詰めても答えは出ない。なぜなら、白か黒かで判別できる問題ではないからだ。

「困窮邦人」は異国の地で、誰にも看取られずに孤独死するケースもある

 ただ、今回の場合は、海外で活躍する大リーグ・カブスのダルビッシュ有(32)とサッカー元日本代表の本田圭佑(32)らが、安田氏の行動に理解を示す発言をツイッターで発信したため、香田さんの時と比べて批判一辺倒の風潮は和らいだように思われる。

 あとは安田氏が、自身の体験に基づいて武装勢力の実態を少しでも詳らかにし、迫力のあるルポが生まれることを、同じ書き手としては期待したい。それが、解放後に高まった自己責任論に対する、ジャーナリストとしての責任の果たし方ではないだろうか。

写真=水谷竹秀