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首に銃弾が突き刺さったレントゲン写真を見た

 かく言う私も昨年夏、フィリピン南部のミンダナオ島マラウィに足を踏み入れ、紛争地を取材した経験がある。イスラム国(IS)に忠誠を誓う武装勢力と国軍部隊が銃撃戦を繰り広げていた渦中で、私の待機場所から1キロほど先の市街地では、「ダダダダダダ」というライフル銃の連射音や軍用ヘリによる空爆音が鳴り響き、その時点で死者数は500人を超えていた。

マラウィの現場。空爆によって街は破壊されていた

 現場に入る前、オーストラリア人ジャーナリストが首に被弾したのを報道で知った。命に別状はなかったものの、首に銃弾が突き刺さったレントゲン写真をネットで見ていただけに、渡航するのは正直、足がすくむ思いだった。

 防弾チョッキやヘルメットを用意するため、日本の家電量販店に問い合わせたところ、「そんなものはうちに置いていない」と一蹴され、かなり慌てた。フィリピン人の知人に頼んで何とか調達できたとはいえ、防弾チョッキは首まで覆われていないため、気休め程度にしかならない。

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戦地で「絶対」に安全な状況などない

 そうこうしているうちに戦火は拡大の一途をたどった。日本のメディアはまだ現場入りしておらず、その「未知なる状況」が、最終的に私の背中を押した。フリーという立場ゆえ、コンプライアンスを順守する必要もない。それに、現地でフィリピン人のベテランジャーナリストに同行を頼んでいたから、「たぶん大丈夫だろう」という経験則に基づく判断だった。

そこかしこに銃撃の痕跡があった

 だが、戦地で「絶対」に安全な状況などない。たまたま私の身には何も起きなかったが、もし仮に、現地で銃撃や拉致される被害に遭っていた場合、やはり自己責任で処理しなければならない問題なのだろう。いやむしろ、そう言わされる無言の圧力が日本社会に蔓延しているような気がする。それは「自分で勝手に危険地帯に行ったのだから、何か起きた場合はお前にすべて責任がある」という前提に基づいているからだ。

 ゆえに何か起きれば、「報道」という大義名分は崩れ去り、「危険地帯に行ったお前が悪い!」「税金が身代金に使われた」などと非難の集中砲火を浴びる。世間でこの自己責任論が共有される背景には、「他人に迷惑を掛けない」のを是とする日本特有の価値観が関係しているのではないか。