今こそ、「カープかつ」を噛みしめるときである。魚肉のすり身といかの粉末をミックスしたシートをベースに、衣にソースを混ぜ込んで作られたカツフライである。懐かしのおやつのようであり、ビールにも実にマッチする。発売から15年、広島土産の定番となっている。赤いパッケージには、カープファンの心意気が宿っている。

 ただ、2020年は、カープカツにとっても試練のシーズンとなった。新型コロナウィルス感染拡大で人の動きが少なくなり、土産物が売れなくなったからである。カープかつ生みの親である(株)スグル食品 品質管理部・洲澤徹部長は、こう話す。「お土産売り場が制限され、観光地のお店が閉まった時期もありました。やはり、少なからず影響はありました」。

カープかつ ©スグル食品

 それに、今シーズンのカープの苦しい戦いである。実際、2016年からのリーグ3連覇の時期は、前年比10%以上の販売増だったというのだから、カープの勝敗は売れ行きに密接に関わってくるはずである。

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 しかし、カープの話になると、洲澤の顔からビジネスマンの色は消える。「カープのことを順位で話しよったら、今までファンはできんかったよ。こういうときこそ応援、これがファンじゃろ。私は、安仁屋(宗八)さんの現役時代からカープを見とるからね。あぁ、それにしても1975年の初優勝は素晴らしかったわ」。

 洲澤のカープ愛は、想像を超えるものがあった。取材の会話も、ほぼ、カープへの思いへと脱線する。しかも、昨日今日の戦いぶりだけではない、なぜか話は、初優勝であり、金山次郎の解説であり、安仁屋のジャイアンツキラーぶりなどの歴史へと逸れていく。

 そんな男のカープかつ誕生秘話を聞いていると、心が和み、日々の悩みは小さなことのように感じられてくる。

ナチュラル・ボーン・カープファン

 根っからのカープファンだった。31歳のとき、スグル食品(広島県呉市)に入社した。それまで公務員だった洲澤は、縁あって入った故郷の会社で営業職を担うことになった。いか姿フライやビッグカツと聞けば、子供の頃の記憶が蘇る読者も少なくないだろう。

 この営業だ。これらの商品は、いわゆるお菓子のルートで流通していた。洲澤は、全国の菓子問屋、食品卸・小売店をまわり、販路拡大に取り組んだ。北海道、東北、関東、関西、九州……プロ野球スカウトも真っ青な守備範囲である。月24日が出張だったこともある。

©スグル食品
©スグル食品

 心の支えはカープだった。「広島を離れて、カープの大きさを再確認しました。一人でいるとき、カープは心の支えでした」。

 まだ全国でテレビ中継や動画配信が見られる時代ではなかった。出張には、ラジオ持参である。「営業の車の中でもRCC(中国放送)ラジオですよ。関東でも、『聞こえてくれぇ!』と祈りながら周波数をRCCラジオに合わせました。雑音が混じっても、その向こうにカープ中継が聞こえてくると、嬉しいもんでした。長野県松本市でも聞こえましたよ」。

 故郷への思いは、ますます強くなっていった。そして、2004年、40歳台になった洲澤に聞こえてきた「球界再編」のニュース。「カープはどうなるのか?」。愛するチームを応援できることが、あたりまえではないことを知った。

 しかし、長野県でRCCラジオを聞こうとする男である。じっとしてはいられない。「何かカープを盛り上げる方法はないものか」。そんな思いを胸に、向ったのは奥田民生のコンサートだった。