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 事件当初は紳士服チェーンのAOKIが、次いで出版大手のKADOKAWAが、おのおの名物創業家の逮捕劇にまで発展し、おカネをもらっていた側の高橋治之さんもまた、半ば開き直るような発言をしながらも再逮捕・追起訴を繰り返しています。

 いまなぜか日本維新の会にいる元東京都知事・猪瀬直樹さんが東京オリンピック誘致にあたり「カネのかからない五輪」と主張しながらも、開催にかかる資金は雪だるま式に膨れ上がりました。そればかりか、菅義偉さんのリーダーシップのもとコロナ禍であるにもかかわらず、無観客での東京オリンピック開催を強行して国葬かと思うようなしめやかな観客動員で粛々と実施されたのも良い思い出です。

東京のレガシーが負債のような状態になってしまっている事例も

 もちろん、イベントをやると決めたからにはちゃんと最後までやる、ビジネスのことでもあるので約束は守る、というのは大事なことです。一方では、一連の五輪汚職にまつわる報道を見ていると、これが分かっているなら昨年の五輪開催は見送るべきではなかったかといまさらのように思う国民は私だけではないとも思います。

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©JMPA

 単にスポンサーによる組織委員会への適切ではないおカネの流れだけでなく、おそらく次の本丸はイマイチ正当性に欠ける謎のプロジェクトと化した旧国立競技場の解体と新国立競技場の建設、さらには神宮外苑再開発も含めた、今回の東京オリンピック開催で目指した東京のレガシー(次の時代・世代へ引き継ぐ遺産)をどうするかっていう各種事業の推移です。

 まだ読者のご記憶にあるのか分かりませんが、世界的建築家であったザハ・ハディドさん(故人)が当初デザインした国立競技場の旧案を俺たちの森喜朗さんが「生牡蠣がドロッと垂れたみたい」と酷評し、すったもんだの末に建設コスト高を理由に廃案として、強引に設計変更してとにかく建設した国立競技場が、いま「これどうすんの」というレガシーというより負債のような状態になってしまっている事例があります。

 これ、後から「とにかく建てろ」と言われて奔走した大成建設や梓設計、隈研吾事務所の責任ではなく、いちゃもんのような建設費高騰を理由づけにしながら、なぜ日建設計とザハ事務所が進めようとした案を撤回しなければならなかったのか。事故調査委員会が立ち上がるレベルの不祥事だったんじゃないかと私なんかは思います。この決定の裏側に、誰か大物の意向が影響したんでしょうか。