「千賀がスパイクで上がってブチ切れられた」
梅雨の時期になると思い出す言葉だ。
300万円の巨大シートにまつわる、ニューヨークでお化けグッズまで販売されているという今や海の向こうのすごい人・千賀滉大投手の逸話である――。
日本一の大きさを誇る特注の防水シート
カブトムシ飼育家としても凄腕の攝津正投手が自前で育てたカブトムシを球場に訪れるこどもたちに譲っていた……で有名な福岡市民の憩いの場、福岡市東区にある雁の巣球場。
福岡ソフトバンクホークス、そして前身の福岡ダイエーホークス時代も含めて2軍本拠地として長らく使用されてきた市営球場だ。
私はその球場に、2013年から金髪ロングヘアーのアシスタントと共にテレビカメラを担いで通うようになった。J:COM制作の若鷹応援番組「ガンガン!ホークス CHECK! GO!」(開始時は「ガンガン!ホークスDX(デラックス)」)を担当し、1軍を目指し日々奮闘する若鷹たちの姿を視聴者に伝えるため、番組を構成・撮影・編集するいわゆるカメD(=カメラマン兼ディレクター)という立ち位置で選手たちを追いかけている。
話は冒頭の「千賀がスパイクで上がってブチ切れられた」に戻るが、雨の日の雁の巣球場では巨大な「防水シート」が内野グラウンドを守っていた。その大きさは60×60メートル。内野の黒土部分がすっぽりと覆いかぶさりテニスコート3面分あるかなというほどとにかくめちゃめちゃデカい。この巨大防水シートは特注で日本一の大きさを誇り、ホークスのキャンプ地・宮崎アイビースタジアムと雁の巣球場にしかないというたいそう貴重なお品でお高いのだと球団関係者が自慢げに教えてくれた。
300万円するらしい。
とにかくデカいので広げたり畳んだりするときはグラウンドキーパーやその辺のスタッフでは手が足りず、選手、首脳陣、グラウンドに関わるすべての人たちで協力して巨大防水シートのお世話をする。
例えば、雨予報の前日にシートを敷くと、翌日チームは雁の巣球場から西へ6.6キロ離れたところにある西戸崎合宿所で試合前練習を済ませ、乗り合わせた車で雁の巣球場へ移動。そこから試合開始へ向けて巨大防水シートを畳んでグラウンドを使用できる状態にする「シート上げ」と呼ばれる作業が始まる。
選手は自前の大切なランニングシューズが汚れないよう、すでに泥が乾いてこびりついたいい匂いはしなさそうなゴム長靴を履き、手には軍手やビニール手袋をつけるのだが、長靴争奪戦に出遅れると残された左右バラバラの長靴から「も~!」「なんで~!」と言いながらかろうじて似たサイズの対を探し履き替えビチョビチョのグラウンドに駆けて行くことになる。
以降は慣れたもので誰がどことか言われずとも2メートル置きくらいにサッとうまいこと配置につくと「せ~の!」という掛け声とともに巨大防水シート上げがスタートする。
「ちょっとでも穴があいたら、パー」
私が通っていた頃の雁の巣球場といえば。そこにはケガ明けで2軍調整中の平成唯一の三冠王・松中信彦選手の姿や、先発転向を目指す千賀投手、2軍と3軍を行き来していた甲斐拓也選手、牧原大成選手、上林誠知選手らがいた。牧原大選手は2014年にウエスタン・リーグでヒットを打ちまくり首位打者をマーク。シーズン120安打で同リーグ新記録を樹立するなどファームでノリに乗っていた。(2016年にはこちらもノリに乗っていた塚田正義選手が124安打を放ち記録を塗り替えた)
ある日、FAで日本ハムファイターズからホークスに移籍したばかりの鶴岡慎也選手が、雨上がりのグラウンドでワクワクしていた。「すごいよこのシート! エグいね~ すごいシートだね!」。みんなが黙々とシート上げをする光景を眺めて言った。
すると「ちょっとでも穴があいたら、パー」と静かな低い渋い声が響いた。声の主は長谷川勇也選手。現1軍打撃コーチだ。
「パー。穴あいたら」。長谷川選手はもう一度同じ口調で言った。
すると、その会話を近くで聞いていた「ばっさん」こと大場翔太投手がニヤリと笑って、「この上に千賀がスパイクで上がってブチ切れられたんすよ」と得意げな表情で、さも話が盛り上がるだろうとばかりに千賀投手の失敗を先輩たちにバラしたのだった。
鶴岡選手はまあそうだろうねといわんばかりの表情で「ブチ切れられたの……」と独り言のように小声でその言葉を繰り返すと、長谷川選手はやっぱり静かな低い渋い声で「300万……」とボソリと呟いた。ちょうどそこで「せ~の!」とシートを上げる次の掛け声がかかり、話はそれで終わった。