メキメキと成長中で、観ていて本当に楽しい。入団時からその歩みを気にして追ってきたが、今こそ一皮剥けそうな、一段階レベルアップしそうな何かを感じている。

「ギータ2世」と呼ばれることからも期待値の高さがうかがえるだろう。彼のホームラン動画がSNSで拡散されると、コメント欄は「ギータにしか見えん」「ほぼギータじゃん」などのワクワクワードで埋め尽くされる。プロ3年目の笹川吉康外野手だ。

入団時から漂っていた“これから感”

 神奈川の横浜商業高校(通称Y校)から2020年のドラフト2位でホークスに入団した左のスラッガー。甲子園出場経験はないが、高校通算40本塁打。高校野球熱の高い神奈川で、もちろん注目された選手の1人だった。

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 柳田悠岐選手を彷彿とさせるフルスイングが最大の魅力。背格好も含め、100人中99人は、笹川選手の姿を若かりし頃の柳田選手と重ね合わせるのではないか。球団もその背中を追って欲しいとの期待を込めて、入団時に柳田選手が付けていた背番号44を笹川選手に託した。番号だけではなく、立ち姿、打席で構える姿、走り方、何だかいろいろとソックリだ。似せようと思っても普通ここまでは似せられないだろう。天性の“ギータ感”があるのだから、楽しみに決まっている。

 個人的に、入団時から気になっていたというのは「ギータみたいなスター選手が育っていく進化の過程を見てみたい」という野球ファンとしての好奇心からだった。入団当時から身長193cm、体重85kgと明らかに大きかったが、“これから感”があった。バッティング練習を初めて見たときも、素振りだけで十分面白かった。ただ、ケージに入ってマシンのボールを打つ時、結構空振りもしていた。でも、その空振りがなんだか好きだった。当たればめちゃくちゃ飛ぶけど、当たらないと豪快に空気を切り裂く。個人的には、当たらない時の方が何故か胸が高鳴ったものだ。

 初めてのインタビューは忘れもしない。新人合同自主トレの時だった。笹川選手は「ホームランしか狙っていません」と真顔でボソボソと言い放った。私の心はゾクゾクした。これこそ漂う大物感なのか、と。インタビューしていても、当時は決して言葉数が多い方ではなかったし、ちょっとぶっきらぼうな印象もあった。あまり話すのが得意ではないのか、人見知りしていたのか、聞き手(私)の力量不足か……。どうやったらうまく取材できるのかな~なんていろいろ考えながら、“笹川トライ”を楽しんでいた。

師匠の目の前で豪快なホームラン

 しかし、合同自主トレ中に足の怪我でリハビリ組となってしまった笹川選手。いきなり残念だなと思ったが、むしろそれが笹川選手にとって“怪我の功名”というのか、今後に繋がる素敵な巡り合わせがやってくることになった。

 1年目の春季キャンプ。アキレス腱の痛みでリハビリ組スタートとなった柳田選手と早くも接触する機会が訪れたのだ。いろいろと会話もしたそうだが、柳田選手の打撃練習をひたすら見つめる姿がとても印象的だった。目標とすべき先輩の姿を間近でまじまじと目に焼き付け、刺激的な時間を送ったのだった。

 そして、怪我で出遅れた笹川選手の実戦デビューは4月の3軍戦だった。初打席で初球をフルスイングすると、逆風を切り裂くように右中間フェンスを直撃する二塁打を放った。これが“プロ初安打”となった。試合後、ちょっぴり照れながら取材に応えてくれた笹川選手。大事そうに持っていたのは柳田選手から貰ったバットだった。「ギータさんのバットで打ちました。折れたら嫌だから、もう使いません」とはにかんだ。ぶっきらぼうだと思っていた青年の可愛らしい瞬間にホッコリした。

3軍戦で“プロ初安打”した時の笹川選手 ©上杉あずさ

 そして、2年目となった昨季3月には2軍公式戦で初本塁打を放った。この年、2軍では4本塁打を放つのだが、笹川選手としては初めての領域にも踏み込んだ。それは、“逆方向”への一発。「人生初」というレフトへの本塁打は笹川選手の成長の賜物だった。特に昨年は、小久保裕紀2軍監督と根気強く逆方向への意識を持って取り組み、黙々とバットを振り込んでいた。

 また、9月には最も嬉しいホームランがあった。体調不良明け、2軍で実戦復帰した柳田選手と共に試合に出場する機会を得た笹川選手は、なんと師匠の目の前で豪快なホームランを左中間に放り込んだのだ。「嬉しいっすね。一番最後に待ち構えてくれていて」とダイヤモンドを一周後、ベンチで仲間たちとハイタッチ。その列の最後に待ってくれていたのが満面の笑みの柳田選手だった。笹川選手の励みになるような素敵な出来事だった。

 オフにはそんな師匠と初めての自主トレ。3年目の飛躍に向け、貴重な時間を過ごした。

若かりし頃の柳田選手と重なる笹川選手 ©上杉あずさ