自分はいったい何者なのか。認知症の妻に会うたびに根源的問いをつきつけられる。
妻はわたしを認識している。「つちやけんじだよ」と言うと、うなずき、食事の介助をしても素直に食べてくれる。しかし「お前の夫だよ。50年前に結婚したんだよ」と言うと、激しく否定する。否定するにしても、なぜ激しく否定しなくてはならないのか、理解に苦しむ。
要するに妻はわたしの名前と外見を結びつけてはいるが、夫婦だということを認めていないのだ。だとすると、わたしをだれだと思っているのだろうか。介護士だと思っているにしては、他の介護士に対するのとは態度が違う。妻に会うたびに自分はだれなのかを問われる思いだ。
初回登録は初月300円で
この続きが読めます。
有料会員になると、
全ての記事が読み放題
既に有料会員の方はログインして続きを読む
※オンライン書店「Fujisan.co.jp」限定で「電子版+雑誌プラン」がございます。ご希望の方はこちらからお申し込みください。
source : 週刊文春 2025年2月6日号