木嶋が婚活サイトで男を騙す際、決まってつくウソがある。自分は名家の出であり、親の社会的地位は高い――そんなデタラメをなぜ言ったのか。理由は彼女の故郷にある。
「昭和30年代の酪農家の暮らしは、まだ厳しかったんです。生活に余裕なんてなかった。食べる物も貧しくて、学校に持っていくお弁当も、ご飯にショウガとか、福神漬けを乗せただけとか。だから酪農家の子どもたちは、弁当の蓋を立てて、中を見られないようにして食べた。木嶋家も酪農家のままだったら、信武さん(仮名)が東京に進学することは難しかったと思います」木嶋家と付き合いのあった男性は、そう振り返る。
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木嶋佳苗の祖父、信秀(仮名)は大正7年(1918年)生まれ。父に連れられて昭和4年(1929年)に福井から開拓移民として北海道野付郡別海村中春別の原野に入った。入植時、信秀はまだ子どもだった。
記録によれば昭和10年12月に別海村立中春別青年学校を卒業したとある。青年学校とは、かつて存在した小学校を卒業した勤労少年たちが通う社会教育校をいう。
戦時中は召集されて北方領土の歯舞群島の守備隊に配属されたというが、それを除けば中春別で親や姉夫婦とともに酪農に従事してきた。
そんな信秀だったが、独学で司法書士試験に合格。すでに40歳を過ぎていたが彼の生活は大きく変わった。昭和35年、中春別から別海の中心部に移り住み、司法書士事務所を開業したのだ。長男の信武は、この時、15歳前後だった。
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source : 週刊文春 2025年2月6日号