(あさのいにお/1980年9月22日生まれ、茨城県出身。玉川大学芸術学部卒業。98年「菊地それはちょっとやりすぎだ!!」でデビュー。代表作に『ソラニン』『おやすみプンプン』など。現在「ビッグコミックスペリオール」で『MUJINA INTO THE DEEP』連載中。)

一番古い記憶は、ベビーベッドの柵越しに僕を覗き込む両親の顔なんです。その時、僕はまるで4、50代のような意識で「あーあ、またこの人たちが親なんだ」とガッカリした気持ちになったのを覚えています。この記憶は捏造かもしれないし、ありえない話ですけど、自分が死んだらまたゼロ歳に戻ると仮定しています。僕の漫画にループする話が多いのも、このことが関係しているかもしれません。
映画化もされた『ソラニン』『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(以下『デデデデ』)などの作品で知られる漫画家の浅野いにおさん。1980年、茨城県石岡市に、父と母、6歳上の姉という4人家族の家に生まれた。
石岡市は名前にもあるように石の採掘が盛んでした。家から見えた龍神山という山がどんどん削り取られて形が変わっていきました。ダイナマイトの爆発音が聞こえるなか、母が作ってくれたそうめんを食べていたのが、子供の時の原風景の一つです。住んでいた地域は近くに工業団地があって、基本的にそこで働く人たちが住んでいる町でもありました。実家は2階建ての古い一軒家で、1階は襖で仕切られた六畳間が5つあって、それぞれ父と母の寝室、居間、台所、客間になっていました。2階は四畳半の和室が2つ続きで、姉と僕で半々で分けていました。
カバンにはファミ通とスピリッツだけ。高3でデビュー、茨城から東京(町田)へ
父はおもちゃメーカーの下請けの工場で働いていて、仕事が忙しくて幼少期はほぼ家にいませんでした。中学の頃になると急に家にいるようになって、反抗期だったのもあって仲が悪くなってしまった。いまだにそれを引きずっています。母は電子回路の部品を作る会社のパートをして、家でも内職をするぐらい働くのが好きな人でした。家には文化的な空気は全然なかったんですけど、姉は絵が得意で漫画好きだったので、『ハイスクール!奇面組』を最初に渡されて、漫画の読み方を教えてもらいました。
87年に石岡市立府中小学校、93年に石岡市立府中中学校に入学。あまりに1人でいたため、先生からは心配された。
幼稚園から絵は描いていて、小1の時には絵画コンクールで金賞を取りました。テーマは虫だったので蜘蛛を選んで、お腹が縞模様になっているから、それをいろんな色にして、何十匹も描いて画面を埋め尽くしました。隙間恐怖症なところがあるんです。これきり賞とは縁がなかったですけど、自分は絵が描けるんだとわかったのがその時でした。
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source : 週刊文春 2025年9月11日号






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