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『ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力』(安田浩一 文春新書 800円+税 ※電子書籍)を読んだ。これまでの差別の歴史や、排外主義に至るまでの過程、そしてその先には何が待ち受けているのかを知りたかった。

 差別によって、本来の怒りの矛先とは全く関係のない人たちが、ただ同じ属性を持っているという理由だけで傷つけられる。差別者たちは、怒るべき相手が大きく、遠く、自分の手が届かない敵であるとき、それと同じ属性の、容易に傷つけ冒涜し迫害できる、手近で立場の弱いマイノリティに、その矛先を向け続けるのだろう。

『ヘイトスピーチ』

 ヘイトスピーチとは、一般的に「憎悪表現」と訳されることも多いが、この言葉は的確ではなく、むしろ事態を矮小化するものであるといえる。本書では「ヘイトスピーチとは、人種、民族、国籍、性などのマイノリティに対して向けられる差別的な攻撃を指す」と定義する。自身の努力だけでは変更することのできない、決して抗弁することのできない属性や、性的マイノリティに対し、差別に基づいた扇動・攻撃を加える行為そのものがヘイトスピーチと位置付ける。ある研究者は(1)人種的劣等性を主張すること(2)歴史的に抑圧されてきたグループに向けられること(3)内容が迫害的で敵意を有し相手を格下げするものであること、とまとめている。要するにヘイトスピーチは、単なる不快語や罵詈雑言とは違い、不均衡・不平等な力関係を背景に行われる、「暴力」そのものである。

 ヘイトスピーチに使われている言葉は、理をわきまえたはずの大人のものだとは到底思えないほど、汚く、下劣で、殺意に満ちたものだ。差別は人を“殺す”。人を傷つけ、人の権利を、生活を、命を奪う。なぜ排外主義の彼らはそれを意に介さないのか、その答えが分かった。彼らは、人を“殺したい”のだ。

 自覚的に排外的な行動をとる者もいれば、加害の自覚のない者や、自らのストレス発散や仲間を得ること、自己陶酔などの“手段”に重きを置く者など様々だが、彼らは自分の言動で、人を“殺せる”ことを知っている。それを望んでいる、あるいは、どうなろうと関心も責任感もない。「殺すな」という私たちの叫びは、「殺せ」というシュプレヒコールにかき消されそうになる。

 差別者が、差別に及ぶ自らの正当性を示すためによく使う言い分が、「マイノリティは優遇されている・特権が与えられている」というものだ。例えば、在日コリアンには「在日特権」なるものがあると主張する。そこに挙げられているものに、在日コリアンの優越的な地位を保障するものなどひとつもなく、いずれも補助的・救済的な権利に留まっている。50万人程度の在日コリアンが、1億2000万の日本人という圧倒的多数の中で、どのような優越的権利を行使できるというのか。彼らが槍玉にあげる「特権」は、そのほとんどが事実無根のデマゴギーなのだ。今ある自分の生活の一部が、外国人の納税や社会貢献によって成立しているといった認識もない。彼らの多くはもはや、特権が許せないわけではない。外国籍住民が日本人と“同等”の生活をしていること自体が許せないのであると、著者は結論づける。

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source : 週刊文春 2025年10月16日号