七将襲撃事件により、石田三成が奉行職を退き、佐和山城に隠居すると、徳川家康は残りの奉行衆を押さえ、豊臣政権における実権を握ります。しかし家康の目論見はそこにとどまりませんでした。天下の誰もが家康のみに従う自前の政権を築くために、着々と手を打っていきます。
その最初のターゲットとなったのが、前田利長でした。秀吉が秀頼の後見と頼んだ前田利家の死後、嫡男の利長が前田家を継ぎ、五大老にも名を連ねます。死に際して、利家は、
〈三年加州へ下り申し候儀、無用に候〉(3年の間、加賀に帰ることなく、秀頼様をお守りしろ)
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source : 週刊文春 2025年10月16日号






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