初舞台は三島由紀夫の新作『熱帯樹』。(文学座に)入団した翌年、一九六〇年の正月公演だった。兄妹の近親相姦の話で妹役は加藤治子さん、両親が杉村春子さん、三津田健さん。豪華メンバーである。

 稽古初日に三島さんが来て全篇を読んだ。身を縮め、肘かけ椅子に埋まるようにして、女のせりふは女の声色で読む。演出家と主だった俳優数人が拝聴する。時折、タイミングよく杉村さんが「せんせ、お茶にしましょ」とブレイク。三島さんが習い始めたボクシングのことなど話し、豪快に笑う。

 先ず作家の「読み」を聴き、作品やせりふのニュアンスを摑み、それから稽古に入るという習慣は文学座独自のものだったと思う。それともあれはあの三島作品に限ってのことだったのか。よくわからない。何しろ僕は在籍した四年近く、大きな役を与えられたのはこれ一本きりだったから。

 俳優山﨑努のデビューは惨憺(さんたん)たるものだった。

(『「俳優」の肩ごしに』文春文庫より)


 加藤治子さんが亡くなって、10年になる。

 2015年11月2日、早朝午前4時半、自宅ベッドで脈がなくなっていた。見つかったとき、まだ温かかったとのこと。没年92歳。

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source : 週刊文春 2026年3月5日号