高校生になると、父に連れられ、北新地の高級クラブやミナミの老舗料亭に出入りするようになった籔本。夜の社交場で出会ったのが、のちに首相になる橋本龍太郎だった。
日本最大の民間医療法人グループ「徳洲会」を一代で築き上げた徳田虎雄の生涯は、常に毀誉褒貶が相半ばする86年だった。
徳田は、鹿児島県の徳之島で、農家を営む一家の8人きょうだいの長男として育った。小学3年の時、3歳の弟が急病になり、往診を頼みに駆けずり回ったが、応じて貰えず、手遅れで亡くなったことが、医師を目指したきっかけだった。2浪の末に大阪大学医学部に入り、34歳で、大阪に病院を開設。「生命だけは平等だ」をモットーに僻地・離島治療や救急医療に注力し、飛躍的なスピードで勢力を拡大した。
その組織力と資金力を背景に、1983年の衆議院選挙には、旧奄美群島区から初出馬。現金買収もいとわぬ金権選挙を展開し続け、90年に初当選を果たしてからは政界に一陣の風を起こす存在となった。
その徳田のキャリアの出発点に、籔本雅巳が率いた大阪の医療法人「錦秀会」との接点があったことは、あまり知られてはいない。
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source : 週刊文春 2026年11月12日号
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