栄華を極めながら検察の標的となった“ナニワの政商”。その半生は激動に次ぐ激動の日々だった。彼の原点を辿っていくと、絶対的存在だった父・秀雄にぶち当たる。
大阪から近鉄線で東へ約1時間。赤目口駅を降りると、周辺には清流をたたえる宇陀川と田園風景が広がる。その宇陀川の支流、滝川の上流にあるのが、三重県名張市の景勝地、赤目四十八滝である。
三重県と奈良県の県境にあり、急峻な崖に大小さまざまな滝が連なる渓谷として知られる。その昔、修験道の開祖が、この地で滝に打たれていると、赤い目の牛に乗った不動明王が現れたとの伝説から赤目という地名が付けられたという。伊賀忍者が修行を積んだとも伝わる山岳信仰の聖地である。
霊験あらたかで、自然豊かなこの地域に、かつて「錦生村」と呼ばれる寒村があった。昭和26年の町村合併で名張町(のちの名張市)に吸収されたが、ここが関西屈指の医療法人グループ「錦秀会」のルーツである。錦秀会の名は、なくなった旧錦生村の「錦」と創設者である籔本秀雄の「秀」からとられている。
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source : 週刊文春 2026年11月5日号
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