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眞子さんの結婚は“日本の長女”の叫びだ|三宅香帆

小室さん、眞子さん「私はこう考える」拡大版

三宅 香帆
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 11月に刊行された『女の子の謎を解く』(笠間書院)で、『細雪』や『凪のお暇』など、物語に登場する「ヒロイン」像を考察した文筆家・書評家の三宅香帆氏(27)。これまでのホームドラマで描かれてきた「長女の結婚」と眞子さんの結婚には“共通点”があると指摘する。

 日本の長女の話だ、と眞子さんのニュースを見て瞬間的に感じた。

 日本のホームドラマには、「長女の結婚」を題材にする物語がしばしば存在する。『寺内貫太郎一家』も長女の結婚話から始まるし、小津安二郎の多くの映画も長女の結婚をテーマにする。どうやらこの国は、長女がいい結婚をするかどうかが、「家族の絆」を問われるひとつのタイミングなのだと考えているらしい。うちの長女はロクな結婚をしそうにないぞ、と父は青ざめ、母は心配する。きょうだいははじめて結婚するかもしれない姉を見つめる。そんな物語が、なぜか幾度となく描かれてきた。

 しかしそれでは、なぜ結婚を心配する相手が長男でなく長女なのか。子どものはじめての結婚を心配するなら、長男でもいいはずだ。私はその理由を、この国の「家」を支える根幹が、娘が母になることにあるからではないか、と考えている。

 たとえば日本で「家」を続かせるためには、夫や父がどんな存在であるかは置いておいて、妻としてやってきた女性にいい母になってもらって、家を切り盛りしてもらわなくてはいけない。娘がきちんとした結婚をして、きちんとした妻・母にさえなってくれれば、男はどうにでもなる。そんな直感があったからこそ、長女の結婚を家族の絆を問う物語として描いてきたのではないか。娘さえきちんとした結婚をしてくれれば、家は安泰だと。そして妹は姉の姿を見て育つ。まるで日本のホームドラマから、「いちばん上の娘に、自由な結婚をされちゃ、家は続かない」という声が聞こえてくるようだ。

 しかしそれらのホームドラマで、長女は躊躇いがちに結婚を拒否しようとする。いい人が見つかればいいけれど、と言いつつも、やんわりと父や母の心配をかわそうとする長女たち。その姿は、長女たちがどこか日本の家に搦め捕られることを拒否しようとしているように見える。

 眞子さんの記者会見を見た時も、同じことを感じた。彼女は皇族という、日本の家制度を象徴するかのような場所で生まれた長女なのだ。最終的に親の意向に沿って結婚を選択しがちな昭和のホームドラマと異なり、令和のプリンセスは、毅然と家を拒否していた。

 長女が、親に反対される結婚を望み、家を出ようとすること。ともすればそんなのは親への反抗期だ、一時的な感情だと一蹴されてしまうものかもしれない。しかし驚くべきことに、この国には、いつまでも娘を家から出そうとしない親がたくさんいる。家にずっといさせて、そして自分の許すタイミングで、自分の許す家にのみ移ることを許す――そんなことを強制される娘たちがこの国にはたくさんいる。眞子さんも、特別な立場であるとはいえど、そんな日本の「家」に生まれた娘のひとりだったのだろう。

 しかし自分の生まれた家は、出るためにあるのだ。そしてそこを出た先にある場所は、自分で決めていい。娘は親のためのものでもなければ、家のためのものでもない。自分は大人になったら、家を出てゆく。そして自分の向かいたい場所に、向かう。そんな当たり前のことを実行することが、この国の娘たちにとっては、困難を伴うものなのだ。だからこそ、眞子さんは会見を開き、この国にいるたくさんの親に対して宣言したのだろう。「新しい環境で心穏やかに生活を送りたいと考えています」、自分が望むのはただそれだけなのだ、と。

 眞子さんを見て、自分を見ているようだと言った女性がたくさんいるらしい。それは彼女の幸福な結婚が、この国に伏流する長女たちの叫びを象徴しているからかもしれない、と私は思う。

source : 週刊文春 2021年12月2日号

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