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長嶋一茂が明かしたミスターと絶縁13年 「生きているうちに会うことは二度とない」

「週刊文春」編集部

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 85歳の長嶋茂雄が文化勲章を親授された先月、長男は雑誌連載で父と絶縁状態だと初めて自ら明かした。妹・三奈とも連絡がつかないという。長嶋家で何が―。

「ファンあってのプロ野球なので、もっと一生懸命頑張っていきたい」

 11月3日、巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督(85)は、皇居で行われた文化勲章の親授式を終えると、こうコメントを発表した。球界の振興に取り組んできた長嶋にとって、天皇陛下からその功績が認められた一世一代の晴れ舞台。車椅子に乗る長嶋に、スポーツキャスターの次女・三奈(53)が付き添っていた。

スポーツキャスターの次女・三奈

 約3週間後の11月25日。この日、発売の月刊誌「ゲーテ」(幻冬舎刊)に掲載されたのは、衝撃的なエッセイだった。

〈父とは、もう13年会っていない〉

 筆者は、長嶋の長男・一茂(55)。自身の連載「…。ハワイに行けないから…書いてみた。」(第9回)で父と13年間にわたり、絶縁状態にあることを初めて自ら明かしたのである。

55歳になった一茂

 エッセイはこう続く。

〈以前は実家に電話もした手紙も出した…。娘達も写真つきハガキを出したりしたが、残念ながら本人からの返信はなかった…〉

 長嶋にとって、初孫にあたる一茂の双子の娘。ところが、その孫娘が写真つきのハガキを出しても、返事がなかったというのだ。

〈月日は流れ、僕も会いに行くこと自体、もう考えられなくなっている〉

 果たして長嶋家で、何が起きているのか――。

 最近は球界を離れ、テレビタレントとして活躍している一茂。「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)ではコメンテーターとして時事問題を批評し、人気バラエティ「ザワつく! 金曜日」(同)では自由奔放な発言を重ねる。

「ザワつく!金曜日」(テレビ朝日系)より

「一茂は、コンスタントに数字が取れるタレントです。『ザワつく!』では、妻から別居を切り出されたことなども赤裸々に明かしていました。番組は、3年連続の大晦日特番が決まっています」(テレ朝関係者)

 だが、国民的英雄の長男に生まれた一茂が、この地位を築き上げるまでの道のりは平坦ではなかった。

 父と同じ野球の道に進んだ一茂は88年、ドラフト1位でヤクルトに入団。93年、長嶋が監督に就任した巨人へと移籍した。

父が監督を務める巨人に入団

「肘の故障もあり、巨人時代の4年間も鳴かず飛ばず。96年オフ、長嶋監督から直接クビを告げられました。その年末、個人事務所『ナガシマ企画』を立ち上げ、タレントに転身します」(巨人関係者)

 一茂は、戦力外を告げられた時の心境を、小誌(09年5月7日・14日号)にこう明かしている。

「オヤジだって息子にそんなこと言いたくないだろうに、その一言を言わせてしまったことが悔しくて辛くて、自己嫌悪に陥りました」

 一方、91年にテレビ朝日に入社したのが、三奈だ。スポーツ記者として着実にキャリアを積んでいく。その三奈と一茂が共演したのが、98年の長野五輪。兄妹で五輪特番のキャスターを務めたのだ。開会式特番には長嶋も登場し、親子の共演も実現した。

 だが、最初の転機はその6年後に訪れる。監督として指揮を執るはずだったアテネ五輪を5カ月後に控えた04年3月4日、長嶋が脳梗塞で倒れたのだ。

「入院直後は兄妹が病室に集まり、看病に当たりました。一茂は05年1月、巨人の『球団代表特別補佐』に就任。読売と長嶋との橋渡し役も務めるようになりました」(前出・巨人関係者)

 長嶋が脳梗塞で倒れた3カ月後、一茂に双子の娘が生まれた。「ゲーテ」でもこう綴っている。

〈初孫にあたる娘達を初めて会わせたときのあの笑顔は今でも覚えている。父も、こんなに嬉しそうな顔をするんだなと思った〉

ミスター自ら家紋入りの文書を

 懸命にリハビリに励むミスター。父を陰で支える長男・一茂と、生まれた新しい命。それがなぜ、「絶縁13年」に発展したのか。

 その少し前、14年ほど前のこと――。

 07年9月18日、一茂らの母・亜希子が64歳の若さで急逝した。

07年に急逝した亜希子夫人

「ミスターは家庭のことは全て亜希子さん任せ。長嶋家の資産や権利を管理する会社『オフィスエヌ』の代表だったのも、彼女でした」(長嶋に近い関係者)

 亜希子の死後、オフィスエヌの社長に就任したのは、三奈だった。だが以降、一茂のナガシマ企画と三奈のオフィスエヌを巡る複雑な関係が表面化していく。

 その一つが、〈長嶋茂雄〉という商標登録を取り巻く問題。商標登録を取得していれば、例えば“長嶋茂雄グッズ”の商品化を独占できるなど、ビジネス上のメリットも大きい。

 それまでオフィスエヌが取得していた商標登録の期限が08年2月に切れると、約半年後の8月、新たに商標登録を出願したのは、ナガシマ企画だった。翌09年5月、ナガシマ企画は商標登録を取得する。

 だが、“事件”はその1カ月後に起こった。メディアなどに対し、長嶋茂雄名義で〈ご通知〉と題した家紋入りの文書が送られたのだ。

〈私、長嶋茂雄の肖像権管理、商品化権、広告宣伝活動及び出演活動につきまして、(略)株式会社オフィス・エヌで一括して行うことに致しました。従来は有限会社ナガシマ企画が関与することもありましたが、平成21年6月15日から、改めて上記通り株式会社オフィス・エヌが責任を持って業務を行うこととしました〉

 長嶋自ら、ビジネスに関わる活動を〈オフィス・エヌで一括して行う〉と宣言したのだ。

 一茂は当時、小誌(09年7月2日号)の取材にこうコメントしていた。

「今までは父の名誉を守るために、ナガシマ企画が父の肖像権等に関する権利を管理し業務を遂行して参りました。今後についても近々オフィスエヌまたは父ともよく話し合っていきたいと思います」

重度のうつで「死のう」と

 この「父ともよく話し合っていきたい」という言葉は程なくして、実行に移される。長嶋と一茂は09年7月、旧知の間柄だったバーニングプロダクションの周防郁雄社長や幻冬舎の見城徹社長らと昼食会を開いたのだ。

 内幕を知る人物が明かす。

「商標権の問題など、当時、“父子断絶”が盛んに報じられていました。そうした様子を見かね、周防氏や見城氏が声をかけた。ミスターとしてはやっぱり一茂さんは可愛い。父親として『皆さんにこれだけ心配をかけるなんて。お前、もうちょっとしっかりしろよ』と諭したそうです。親子ですから、わだかまりがあっても、会って食事すれば気持ちは通じ合うのでしょう」

 ところが――。

「フライデー」(09年7月31日号)が、この会を「和解の昼食会」として写真つきで報じたのだ。

「秘密だった食事会がなぜか漏れたのです。周防氏や見城氏も首を傾げていました。記事には、その2日後、一茂が妻と娘を連れ、実家を訪問する様子まで写真つきで掲載されている。和解をアピールするかのような報道ぶりに違和感を抱いたのが、三奈さんでした。『私が父を守らねば』との思いを一層強くしたそうです」(三奈に近い関係者)

 それが、およそ13年前のことである。

 離れていく一茂と、妹・三奈、そして父・長嶋との“距離”。両者の関係に追い打ちをかけるように「週刊ポスト」(09年12月25日号)が報じたのは、一茂がそれ以前に取っていた“ある行動”だった。

 話は、長嶋が脳梗塞で倒れた約3カ月後の04年6月に遡る。一茂は、長嶋が獲得したトロフィーや天覧試合の写真などミスターゆかりのグッズの数々を、福井県のコレクターに約2000万円で売却したのだ。

 なぜ、そんなことをしたのか。一茂は、長嶋が脳梗塞で倒れた後、風水師から自宅地下室が鬼門と言われたという。数百個の段ボールが乱雑に置かれ、カビが生えた物品もあった。そこで亜希子に処分を提案。脳梗塞で倒れた直後の長嶋からも合意書に署名指印を得て、売却に踏み切った。

 ところが、ポストの報道で明るみに出たのは、母・亜希子のパスポートや衣服まで売却していた事実だ。中には、三奈や弟の物品も含まれていたが、彼らは一切、グッズの売却を伝えられていなかった。報道後、全てを知ったという。

「過去の想い出が勝手に売却されていたことに、三奈さんはショックを受けていました。この09年末を境に、関係悪化は決定的になっていくのです」(同前)

 家族関係がこじれていく中、一茂自身も精神的に追い込まれていた。自著『乗るのが怖い』(幻冬舎新書)では、07年に母が亡くなったこともあって、重度のうつ症状に陥ったことを明かした。

〈蟻地獄のような果てのない絶望感。私は心底、やぶれかぶれになって、「もう死のう、本当に死のう」と、思った〉

 母の死に加え、父や妹との溝。窮地の一茂が選んだ道は、長嶋茂雄の名前から離れて生きていくことだった。

 翌10年3月、ナガシマ企画は〈長嶋茂雄〉の商標登録を正式に放棄する(10年8月にオフィスエヌが商標登録を出願)。

〈長嶋茂雄〉の商標権はオフィスエヌに(特許庁HPより)

 一茂はもともと長嶋が暮らす邸宅とは別に、田園調布の一軒家にナガシマ企画の本店を置いていたが、10年1月に港区内のビルに移転。11年5月には、品川区に豪邸を新築した。

「読売との関係にも変化が起きました。11年1月、一茂は球団代表特別補佐を退任し、新たに『野球振興アドバイザー』に就任したのです。それまで読売と長嶋とのパイプ役を期待されていましたが、広く野球の普及を担うという立場になりました」(読売関係者)

 苦悩の末、新たな歩みを始めた一茂。古くから知る芸能界関係者の力も借り、11年4月に起用されたのが、「モーニングバード」(テレビ朝日系)のコメンテーターだった。

「一茂は政治や経済に関する書籍を読み漁り、ニュース番組を録画して目を通すなど勉強を重ねていました」(別のテレ朝関係者)

 テレビ番組で本人が明かしたところによれば、13年頃には徐々に精神状態も回復していった。きっかけは「いつ死んでもいい」と開き直ったことだという。

 15年9月には、後継番組の「モーニングショー」がスタート。18年10月に始まった「ザワつく!」は前述のように、テレ朝を代表する人気番組になった。

 他方、三奈は13年8月を最後に「熱闘甲子園」を降板し、翌14年にはテレ朝との契約が終了。近年は、パラリンピック選手への密着取材など一部の番組制作に携わる程度だ。

〈妹達や弟とも10年以上…〉

「彼女は基本的にミスターの介護が中心の生活です。東京五輪の際は、組織委員会の事務局と打ち合わせを重ね、車椅子ではなく歩いて聖火ランナーを務めることを提案していました」(前出・三奈に近い関係者)

 そうした中、一茂はなぜ今になって、ミスターとの「絶縁13年」を明かしたのか。3月25日、連載開始に当たり、見城との対談でこう語っていた。

「この世からいなくなった時、娘達に何か遺せるものがあったらいいなということを勝手に思いまして。で、大変恐縮ですけども、公共の媒体使わせてもらって」

 公共の媒体で、娘たちに届けるメッセージ。エッセイの終盤では、家族との関係をこう綴っている。

〈生きているうちに父と会うことは、もう二度とないだろう。父だけではなく、妹達や弟とも10年以上顔を合わせていないし、連絡もとっていない〉

「ゲーテ」の連載で綴った告白

 一茂の親しい知人が言う。

「一茂には『父が亡くなってから書いたのでは遅い』という想いがあったはず。もしかすると、葬儀に参列することすら叶わないかもしれない。だからこそ、生きているうちに雑誌で告白し、娘だけでなく、自らの思いが父に伝わることを期待したのでしょう。そのためにはどんな批判を受けても構わないと、腹を決めたのです」

 果たして一茂は今、何を思うのか。12月5日、一茂に声をかけた。

――ゲーテのエッセイについてお話を伺いたい。

「あなたたちに協力する気はないんで」

――茂雄さんと最後に会ったのはいつでしょうか?

「弁護士から訴状いかないように気を付けてね。俺はすぐやるから。大丈夫? 君たち個人的に訴状送られるよ?」

 改めてナガシマ企画に書面で確認を求めたが、期日までに回答はなかった。

 オフィスエヌにも書面で確認を求めたが、期日までに回答はなかった。

 一茂はエッセイをこう締めくくっている。

〈どうしても言っておきたいことがある…それは日本中の長嶋茂雄ファンのなかで、僕こそが一番の長嶋茂雄ファンだということを…〉

 一方、不屈の精神でリハビリ生活を送り、今も多くの人に勇気を与え続けるミスター。ひとたび自宅に戻れば、もう二度と会うことはないかもしれないテレビ画面の中の息子に、目を細める日もあるという。

(文中敬称略)

ミスターの胸中は……

source : 週刊文春 2021年12月16日号

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