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クリンちゃんに花束を|みうらじゅん

人生エロエロ 第469回

みうら じゅん
エンタメ 芸能

 人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた。

 プディングハムスターの“クリンちゃん”。

 3年前にペットショップからうちに来たのだけど、最近とみに足が弱り、ケージから出してやろうにも、その少し高さのある入口になかなか登れない。

 手を添えてあげたいけど、君は噛み付いてくるんだもんな。

 ほんとに小っちゃな頃は僕の手の平に乗ったりして懐いてたのに。

 トイレットペーパーの芯を何本も繋げてトンネルを作ってあげたの覚えてる? 君は嬉しそうに入って遊んでいたじゃないか。

 しかし、君は変わってしまった。1年ほど経って、少し大きめなケージに買い替えた時、組み立てた僕がミスをした。プラスティックの蓋の部分を前後、間違えたもので透き間が少し出来ちゃってたんだよな。

 しばらく何てことは無かったけど、君はいつもその透き間が気になって体を押し当ててたんだろう。

 ある朝、ごはんをあげようとケージを見たら、もぬけの殻だった。

「クリンちゃんが脱走した!!」

 我が家は大騒ぎになったけど、君からしたらそんな大袈裟なつもりはなく、たまたま擦り抜けられたってことだったろう。

 その日は家中捜したけど見つけられなかった。仕方なく、ごはんを入れてケージの入口を開けておいたんだ。

 お腹が空いたらきっと戻ってくるだろうって、甘い考えでいたから。

「クリンちゃーん! クリンちゃーん!」

 しかし、君は一向に姿を現わさなかった。

 連日、呼び掛けはしたが、そもそも君はそれが自分の名前だと思っちゃいなかったろ。

 もしや、いなくなった当日、または前日の夜、家のドアを開けた隙に外へ飛び出しちゃったのか?

 それだともう、一生会えないかも。

“かわいい子には旅をさせよ”なんて言うけど、わけが違うだろ。何度か机や箪笥を退けて徹底的に捜索したが、無駄だった。床下が怪しいと思い、マンションの管理人さんに相談したが、そのために床板を外すことは出来ないと言われてしまった。

 そんな絶望と不安のくり返しが1ヶ月以上も続いたある夕方のこと。

 居間のカーテンの透き間に何やら小さな動くものを見た。

 まさかと思ったが、まさかのクリンちゃんだったのだ。

 プリンのような淡いベージュの毛色は随分、黒ずみ、痩せ細ってる。一体どこに隠れてたんだよォ。

 しかし、嬉しさの余り駆け寄るとまた、逃げ隠れてしまう。ここは忍び足で近づいて、そろりと手を差し伸べてと……その瞬間、

“シャーッ!!”

 という、初めて聞く威嚇のような鳴き声にギクリとした。

 同時に指を噛まれ、出血した。

 それでもようやくのことでケージに入れたが、君のやさぐれはそれからも続くことになる。もはや“ちゃん”付けは似合わず、クリンと呼んでるのだが、一体、その長旅で何があったっていうんだい?

 何も、責めてなんかいないよ。家出のきっかけを作ったのは僕だし、そもそもつがいで飼ってやらなかったのが悪かった。そりゃやりたかったろうな。せめての償いにと、コロコロボールを買ってあげたけど、君は近頃、しんどいのか、転がることもしないね。

「今、幸せかい?」

 いや、そんなことを聞く僕が馬鹿だよな。

 

source : 週刊文春 2022年2月3日号

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