人生の誤算|清水克行

室町ワンダーランド 第45回

清水 克行
ライフ ライフスタイル

 昨年11月末、埼玉県の大宮駅前のマクドナルドが失火で全焼した。さいわい死傷者は出なかったものの、激しい火災の様子をとらえた動画が拡散して、ちょっとしたニュースになっていた。実はあのマクドナルドは、僕にとっては苦い思い出の場所である。繁華街の焼跡画像をスマホで見ながら、僕は18年前の憂鬱な日々を久しぶりに思い返し、あの場所が失われてしまったことに、何とも言えない感慨を抱いていた。

 当時も今も研究の世界では、大学院を修了しても、そう簡単に研究職には就けない。そこで、そうした若手たちのために、我が国では日本学術振興会特別研究員という制度がある。一定の実績のある大学院修了者を対象に、彼らが研究に専念できるよう、3年間の任期で給与と研究費を支給する(ノルマや出勤義務は無い)という、ありがたい制度である。

 僕は、2002年、31歳のとき、この研究員に幸運にも採用され、それまで働いていた高校の非常勤講師を退職した。8年間の教員生活は楽しかったし、最後には当時教頭になっていた野山先生から「ウチの専任教諭にならないか」という誘いまでもらっていた。ただ特別研究員になれば、国内外の歴史資料を収集・分析する最高峰の研究所である東京大学史料編纂所で、3年間、生活の心配もなく自分の好きな研究に没頭できることが約束されていた。それに、多くの先輩研究者たちは特別研究員のキャリアを得た後、任期の3年を待たず、どこかしらの大学の専任職に就き、研究者としてひとり立ちを遂げている。申し訳ないが、野山教頭には感謝の気持ちだけを伝えて、僕は人生の新しいステージに飛び立った。

 と、ここまではカッコイイのだが、3年という歳月は、大したこともしないまま、あっと言う間に過ぎた。その頃、すでに僕は結婚しており、長男も授かっていた。妻は出産と同時に会社を辞めてしまっていたので、家計の収入は僕の研究員としての給与だけになっていた。しかし、当初の甘い予想に反して、3年目の冬を迎えても、どこの大学からもお声はかからなかったのである。このままだと来春には無職になるのは確実だった。まずい! このままでは妻子を抱えて路頭に迷う……。

 慌てた僕が最初に電話で泣きついたのは、ブザマなことに、3年前、あれほど颯爽と辞めた高校の野山教頭だった。「1コマでもいいんで、非常勤講師の仕事、ないでしょうか……」。このときほど、冬が来てアリに頭を下げるキリギリスの気持ちに共感したことはない。

 ところが、野山教頭はイヤミの一つも言わず、「あと1ヶ月早く相談してくれれば良かったのに……」と、頼んだこちらが申し訳なくなるほど本気で心配してくれた。そして自分のところがダメならと、他校の非常勤職まで探してくれたのだが、けっきょく僕が相談するのが遅すぎたせいで、どこの職も見つからなかった。

 ようやく自分で求職サイトで見つけたのが、吉祥寺の予備校での日本史講師の仕事だった。その後、ギリギリになって先輩の紹介で、都内の女子高の非常勤講師の仕事が舞い込んだ。また、運良く恩師からも大学の二部(夜間)の講師職も紹介してもらえた。こうして、女子高の講師が週3日、大学の夜間の授業が金曜夜に1コマ、予備校は月曜夜に1コマと、どうにか細々とした3ヶ所の仕事にありつくことができた。

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source : 週刊文春 2023年3月23日号

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