70年代の若者文化を象徴する名曲、ガロの「学生街の喫茶店」。ボーカルを務めたのは大野真澄氏だ。スパイダースのかまやつひろしはじめ、同い年の矢沢永吉、3歳上の吉田拓郎らと交流してきた人物が語る体験的音楽史。

 

(おおのますみ/1949年、愛知県生まれ。70年11月、「GARO」を結成。73年、「学生街の喫茶店」が大ヒットし、同年、日本レコード大賞大衆賞を受賞。オリジナルアルバム8枚、ベストアルバム2枚組1セット、シングル盤12枚をリリースし、75年に解散。現在はソロライブの他、数多くのアーティストとのジョイントライブなどを行っている。)

大野真澄氏

 グループサウンズ(GS)が流行り始めた1966年。高校二年生のとき、愛知で仲間とバンドを始めました。僕はボーカルで、ビートルズやアニマルズ、ストーンズなどをコピーしていた。ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を中学二年で聴いて「今までと全く違う音楽が来た!!」と衝撃を受けて自分もバンドをやりたいという思いに駆られました。

 でも、当時は森山良子さんなどのカレッジフォークがもてはやされていて、洋楽ばかり演奏してもウケないわけです。それでも67年にGSが全盛期を迎え、タイガースやテンプターズ、ゴールデン・カップスなどをカバーし始めたらすごくウケるようになっていろんな仕事が入ってきました。嬉しかったですね。あの頃は音楽状況が1年ごとに激的に変わっていたんです。

 高校を卒業した68年の春、絵の勉強をするために上京して「セツ・モードセミナー」に入りました。セツの先輩でのちにイラストレーターとして活躍するペーター佐藤さんが、旗揚げしたばかりの劇団「キッド兄弟商会(後の東京キッドブラザース)」のポスターを描いたので観に行った。公演後、僕がビートルズを歌っていたことを知った劇団主宰の東由多加さんから出演して欲しいと頼まれ、第2弾公演に参加しました。

 69年のこの公演をたまたま観に来ていたのが、タイガースを脱退したばかりの加橋かつみさんと音楽プロデューサーの川添象郎さん。彼らがアメリカで大ヒットしていた反戦ミュージカル「ヘアー」の日本公演をプロデュースすることになった。それでオーディションを受けるように口説かれて会場へ行きました。

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source : 週刊文春 2023年5月4日・11日号