加藤逮捕で兜町はパニック状態に陥った。自宅から忽然と姿を消した妻と息子。特捜部は彼らを追いかけるが――。

 株の世界を知り尽くした経済小説の巨匠、清水一行が1983年に刊行した「擬制資本」は実際の仕手戦をモデルにした小説だ。東証一部上場企業の宮地鉄工所と、加藤暠(あきら)を擁する誠備投資顧問室との「食うか、食われるか」の熾烈な攻防がスピード感溢れる筆致で描かれている。

 

 資本金15億円、79年12月までは株価は200円台だった宮地鉄工所の株が翌年5月には1100円台に急騰。その買い手の中心には、誠備グループがいることが次第に明らかになる。だが、当初は一定の高値で利食いするか、集めた株を会社側に引き取らせるものだとみられていた。

 加藤の妻、幸子(ゆきこ)が振り返る。

「当時は、株券の裏を見れば誰が株を売ったかが分かりました。会社側の役員やメインバンクがこっそり保有株を高値で売って儲け、株主総会までに安値で買い戻し、辻褄を合わせておくケースがありましたが、宮地鉄工の場合もそうでした。売り物がどんどん出るので、片っ端から買い進めると、実は“乗っ取り”と騒いでいる側が売っていた訳です。ところが、役員らが買い戻そうにも株価が下がらず、誤算が生じた。誠備の資金力を甘くみていたのです」

 誠備グループは宮地鉄工所の全株式の70%以上を買い占めた。そして80年11月には、宮地鉄工所の臨時株主総会が開かれ、誠備が推す新たな役員3人が選任された。これが、別の火種を生んでいく。

「宮地鉄工の子会社に建設会社があり、そこが田中角栄元首相の裏金作りに関わっているという話が持ち込まれたのです。角栄さんに近い関係者からも『ゴルフをセッティングするので角さんに会ってみたら』などと誘いの声がしきりに掛かるようになった。ただ、主人は角栄さんの政敵である福田赳夫元首相との縁があるので、『仁義として会う訳にはいかない』と断っていました」(同前)

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source : 週刊文春 2023年6月15日号