風雲急を告げる慶応3年、弥一郎の姿は“坩堝(るつぼ)”のごとき京都にあった。

 

【前回まで】弥一郎ら寺田屋騒動の「二階組」の召喚運動によって、沖永良部島から西郷隆盛が戻ってきた。反転攻勢に出る薩摩勢は、朝廷内に影響力を及ぼし始めた長州勢を駆逐したが、やがて薩長は「禁門の変」で再び激突、弥一郎も奮戦する――本連載は西南戦争で散った薩軍三番大隊長・永山弥一郎の生涯を掘り起こす「同時進行歴史ノンフィクション」である。

 元治元年(1864)7月の「禁門の変」で奮戦した後、弥一郎の足跡は史料からはしばらく途絶える。

 再びその動向を捕捉できるのは、慶応3年(1867)3月。鹿児島の郷土史家、宮下満郎氏の「三番大隊長、永山弥一郎伝」(「敬天愛人」第六号所収)にこうある。

〈同(慶応三)年三月、島津久光はイギリス式編制の陸軍六箇小隊を率いて上京したが、このうち城下四番隊の監軍として永山盛弘(弥一郎)は随従した。監軍とは隊長の次で、隊長を補佐する役職である〉

 この城下四番隊は翌年正月に勃発する鳥羽・伏見の戦いに参戦し、そのまま戊辰戦争を東北戦線で戦い抜くことになる。つまり慶応3年3月から翌年1月まで弥一郎は京都にいたものと思われる。

 “弥一郎がいた場所にはすべて行ってみる”が当連載の基本方針なので、京都にも行くべきなのだが、私のように人生の大半を関東近辺で過ごした人間にとって京都という街は、アウェイというか、ちょっとした畏怖の対象ですらある。

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source : 週刊文春 2023年11月30日号