殺伐とした京都で弥一郎ら薩摩藩士と会津藩士が斬り合いになり……
【前回まで】慶応3年、国父島津久光の上洛に随従してきた弥一郎は、京都で長州藩の山県有朋や土佐脱藩の坂本龍馬とも接点を持っていた。その時代、相棒のごとく共に行動したのは、西郷隆盛の右腕として頭角を現していた中村半次郎だった――――本連載は西南戦争で散った薩軍三番大隊長・永山弥一郎の生涯を掘り起こす「同時進行歴史ノンフィクション」である。
慶応3年12月(1868年1月3日)、「王政復古の大号令」が出された直後の京都で永山弥一郎は、ある事件を起こす。
私がそのことを知ったのは、「春山田中日記抄」(『鹿児島県史料 忠義公史料 第四巻』収録。以下、「日記」)という史料の以下の記述によってである。
〈(十二月)十二日 雨 会・桑(会津と桑名)等ノ軍兵御所ニ攻来ラントスルノ勢ヒヲナスト、追々注進ス、各藩ノ兵士英気盛ンニ、兵備厳整ナリ、今夜五ツ時(二十時)、斥候村田某(新八)・永山某(万斎)・川俣某外両人、守護邸下ニテ会(会津藩士)七人ト刃傷シ、村田傷ケトモ当敵ヲ討留メ、其外逃去ル、今夜已ニ事ニ及ハントス〉
王政復古の大号令で御所を追われた会津藩と桑名藩の反攻が警戒される中、会津藩の“お膝元”といえる京都守護職屋敷付近で弥一郎(万斎)と村田新八ら薩摩藩士が、会津藩士と斬り合いになり、会津側に死者が出たというのである。
会津藩士を斬った村田は西郷隆盛の最側近の一人。知勇兼備の人として知られたが、西南戦争では西郷に最後まで付き従い、城山で果てた。
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source : 週刊文春 2023年12月7日号