事業での再起と旧長銀との裁判対策にのめり込む弟。そんな中、筆者は治則と料亭で会食する機会を得た。口元は笑っていたものの、眼光は鋭く、独特の威圧感があったという。
2001年9月11日の夜、ハイジャックされた航空機2機がニューヨークの世界貿易センタービルに相次いで激突。ビルが白煙を上げながら崩れ落ちていく様子がテレビ画面に映し出されていた。
「終わったな……」
高橋治則は、年下の友人とともにその映像を見ながら、こう呟いた。米国でビジネスをしていた友人は、治則に資金援助をしてくれるスポンサーと言っていい存在だった。同時多発テロの影響で、世界的に株価が暴落し、友人の資産も大きく目減りすることは目に見えていた。
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source : 週刊文春 2024年6月6日号