(はたようく お笑い芸人。1975年、山口県生まれ。2004年、「エンタの神様」(日本テレビ系)でギター侍として大ブレイク。CDデビューし、紅白歌合戦にも出演。翌年には全米デビューを果たす。16年に福岡に移住し、現在は九州を拠点に情報番組のレポーターやラジオパーソナリティとして活躍中。)

 

 福岡に移住して8年が経ちました。「移住して大成功ですね」とよく言われるんですが、移住でお笑いの腕が上がるわけでもないし、決して“大成功”はしていません(笑)。ただ、東京にいた時より100倍くらい明るくなったのは事実。移住が人生を好転させるかはその人次第だと思いますが、僕の場合、環境を変えたのは確実にプラスでしたね。

 着流しでギターをかき鳴らしながら「残念!」と著名人を斬りまくる「ギター侍」のネタで大ブレイクした波田陽区さん。現在は、九州を拠点にローカルタレントとして活躍中だ。
 波田さんが山口県下関市で生まれたのは1975年。国鉄職員だった父と主婦の母、六つ上、三つ上にそれぞれ兄がおり、甘えん坊の末っ子だったという。

 物心ついたときに住んでいたのは国鉄の社宅。2LDKの狭い部屋で、3畳間が一番上の兄の部屋。長兄以外の4人は6畳間で寝ていました。

 子供の頃から僕は目立ちたがり屋で、小学校では学級委員をやったりソフトボールクラブでピッチャーを務めたり。運動が得意で、中学時代はバドミントン部で全国大会に出場し、ベスト16に入りました。でも、頑固一徹の父には「バドミントンなんてやってないで勉強しろ」と怒られていましたよ。

 僕が中学2年の時、国鉄の民営化に伴って社宅が取り壊され、下関市内の借家に引っ越しました。1階に広いLDKと和室が二つ、2階にも6畳間が二つ。僕もようやく一人部屋をもらえて、CDコンポや漫画を並べ、自分の城を作り上げていました。でも、一人部屋の思わぬ弊害が。社宅ではリビングに勉強机を置いていたので、家族に監視されていて勉強せざるを得なかったんですが、一人部屋になった途端、勉強をさぼるようになり、成績は急降下。環境って恐ろしいですね。

 卒業後は、地元の山口県立豊浦高校に進学。ここは父の母校で、「絶対に合格しろ」と厳命されていたんですが、入試では落ちてしまった。そうしたら、あんなに怖い父がショックで寝込んでしまったんですよ。その後、補欠入学の通知が来た時には、父は自分のことのように喜んでいました。

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source : 週刊文春 2024年8月1日号