(やまもとひろし アーチェリー選手。1962年、神奈川県生まれ。中学生でアーチェリーを始める。五輪に通算5回出場し、84年のロサンゼルス五輪で銅メダル、2004年のアテネ五輪で銀メダルを獲得。現役選手を続けながら日本体育大学教授として教鞭をとる。著書に『持続力』(講談社)など。)

 

 アーチェリーと出会って約50年。今年の秋で62歳になりますが、今も現役生活を続けています。パリ五輪への道が閉ざされた時も「引退」の文字は浮かばなかった。僕の人生には、いつもアーチェリーがありました。

 1984年のロサンゼルス五輪で銅メダル、その20年後の2004年アテネ五輪では41歳にして銀メダルに輝き、「中年の星」と脚光を浴びたアーチェリー選手の山本博さん。日本体育大学で教授を務めながら、2022年の「全日本社会人ターゲットアーチェリー選手権大会」壮年の部で優勝を果たすなど、現在も第一線で活躍している。
 1962年に神奈川県横浜市で生まれた山本さんは、わんぱくな少年時代を過ごしたようだ。

 横浜といっても僕が暮らした保土ヶ谷区は起伏が多い丘陵部。田園風景の中に建つ自宅は、8畳の和室が一つ、6畳の和室が三つと台所がある平屋の日本家屋でした。玄関は土間風で大きかったし、浴室とトイレも付いていたからそれなりにしっかりした造りだったと思います。庭もけっこう広くてスピッツを外飼いしていました。

 ただ、うちはちょっと複雑な家庭で、山本家はもともと母が養女に入った家。そこに父が婿として養子縁組をして山本姓を名乗るようになりました。しかも、母は再婚で僕には一回り以上年の離れた父親の違う兄が2人いた。祖母、つまり母の養母も健在だったから僕の部屋はなく、両親と同じ部屋で寝ていました。

 幼稚園の頃に祖母は亡くなったけれど、その数年後に弟が生まれたので一人部屋を持った記憶はありません。勉強嫌いで遊んでばかりだったから、必要なかったしね(笑)。

 あちこちに残る防空壕や田畑が遊び場で、日が暮れるまで駆け回っていました。『巨人の星』や『仮面ライダー』が流行っていたので、野球をしたり、自転車に乗って仮面ライダーごっこをしたり。当時の畑には肥溜めがあって、夏は表面が乾いて地面のように見えるから、みんな必ず一度は落ちたなあ。友達は逃げちゃうし、臭いはなかなかとれないから最悪なんですよ。

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source : 週刊文春 2024年8月8日号