(むらいりこ 翻訳家・エッセイスト。1970(昭和45)年、静岡県生まれ。主な著書に『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『義父母の介護』、訳書に『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『エデュケーション』などがある。だいわlog.で日記「ある翻訳家の取り憑かれた日常」を連載中。)
私の記憶にある最初の家は、静岡県焼津市にあった、さくら荘という古い木造2階建てのアパートです。焼津は水揚げ金額日本一と言われる港町で、遠洋漁業の船が入ってきたときはワーッと盛り上がるんですよ。外国の船乗りたちが酒場につめかけて、喧嘩も多発する。でも、普段は人の少ない田舎町でした。母方の祖父は地元で手広く水商売をしていて、母は祖父が経営するバーで働いているときに父と出会ったと聞いています2人は祖父の反対を押し切って結婚したあと、焼津駅前にジャズ喫茶を開いたんです。
村井理子さんは、1970年生まれ。『ゼロからトースターを作ってみた結果』『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『射精責任』など、ユニークな本の翻訳を手がけ、エッセイストとしても活躍している。村井さんの原点は、両親と5歳上の兄と4人で暮らしていたアパートにあった。
うちはさくら荘の2階の一番端っこの部屋でした。玄関を入ると左手にキッチン、右手にトイレと風呂。玄関の正面の6畳の和室が居間で、居間の隣の和室が家族の寝室でした。母が読書好きだったので、狭い家の中に大きな本棚があって、『サザエさん』と『いじわるばあさん』が揃っていました。私は文字をおぼえるのが早くて、3歳くらいのときには本棚にある漫画を全部読んでいたんです。
兄のように荒れたら困ると女子校を受験。大学受験から逃げるようにカナダへ
アパートの裏側に小さな市場があったんですよ。母の言いつけで、毎朝そこに揚げたてのコロッケを買いに行ったことをおぼえています。熱々のコロッケを入れた白い紙袋を持って歩いていると、どんどん油が染みてくる。私は生まれつき心臓が悪く、走っちゃいけないと母に言い聞かされていたので焦りました。
父と母が営むジャズ喫茶にもよく行っていました。瓶ジュースの販売機とか、ソフトクリームの製造機とか、子供にとって珍しいものがたくさんあったので面白くて。あと雑誌の最新号が出ると、近所の本屋さんが届けてくれるんですよ。週刊誌から「週刊少年ジャンプ」まで、店に山と積んである雑誌を読むことも楽しみでした。
村井さんは焼津東小学校に入ってまもなく心臓の手術を受けた。
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source : 週刊文春 2024年8月29日号