常々、世界はよくなり続けていると感じている。人類は学び続け、価値観はより多様に、倫理観はより高まり、私たちは昨日よりも美しい世界を生きていると。「昔はよかった」なんてのたまう愚か者は歴史の教科書を、いやそれが難しいなら『セシルの女王』を読むべきだ。今よりずっとずっと過酷な環境の中、それでも己の信念に従って戦う人々の生き様は皆そろいもそろって眩いほどに美しい。そしてたまらずこう思うのだ、「この時代に生まれなくてよかった〜」と。
舞台は1533年のイングランド。衣装担当宮内官として働く父と共に城に上がった12歳のウィリアム・セシルは、初めてイングランド王・ヘンリー8世と出会う。王の横暴さにショックを受けたセシルだったが、王妃アン・ブーリンの優しさに触れ、王妃とそのお腹の子を守ることを決意。後にイングランドの黄金期を築き上げるエリザベス1世と彼女に仕えた忠臣・セシルの数奇な運命を追っていく。
謀略渦巻く宮廷で、人の命や尊厳は羽根よりも軽い。離婚に打ち首、出産死に死別……ヘンリー8世の妻はなんと6人! 女性というだけで家族の駒のように扱われ、意思を確認されることなどないままに理不尽に奪われ踏みにじられながらも、負けてたまるかと唇を噛みしめ、この身一つで生き抜かんと戦う王妃たち、否、猛者たちのなんと勇ましいことか。王の寵愛を競い合うライバルでありながら、時に同じものに苦しめられる仲間として手を差し伸べ共に泣く王妃たちの姿には強烈なシスターフッドを感じ、胸が熱くなった。
この地獄のような権力闘争の諸悪の根源は王政そのものだろう。能力ではなく血統で統治者を決めるその制度にはどう考えても穴があるし、そもそもが人権侵害だ。生まれた時から将来が決まっているなんて、暴君のようなヘンリー8世もある意味被害者。彼の見せる悲哀が生々しくて、どうしたって憎み切れない。
激しい展開の一方で何気ない会話はユーモアに溢れている。ふいに挟まれる「ノーマネー・フィニッシュ伯爵」や「キーホン・ヤクタターズ様」といったふざけた名前や解説シーンでのランボー姿のヘンリー8世がツボに入り、ゲラゲラ笑ってしまうことも。
王妃はついに6人となり、セシルは着々と地位をあげていく一方で、王室には死の気配が漂うように。運命に導かれるようにして己の強さと弱さを知ったエリザベス。彼女とセシルとの間に結ばれる主従の信頼関係にぐっとくる。この先の運命を史実として知っているからこそ、短い幸せな時間が何よりも切ない。巻末には監修の先生によるコラムも掲載されており、より詳しい歴史的背景を知ることもできる。
血塗られたチューダー朝はそのドラマ性から数々のエンタメへと昇華されている。ミュージカル『レディ・ベス』や「怖い絵」展で話題となった『レディ・ジェーン・グレイの処刑』、物語『王子と乞食』などと比較して楽しむのも一興。来年にはブロードウェイミュージカル『SIX』の来日公演と日本キャスト公演が予定されている。ただでは転ばない6人のタフな女たちがどうしようもなく好きになってしまった今、まさに渡りに船。私がこの6人の中で一番不幸だったのだからこのバンドの主役は私だ! と歌いあげるだなんて、面白いに決まっている! この漫画とのコラボも発表されており、続報が楽しみだ。
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source : 週刊文春 2024年9月26日号