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連載昭和の35大事件

「日本の金本位制度」終結の裏側 “三井のドル買い事件”が引き起こした「血まみれの政変」

自ら掘った溝に転落した井上準之助蔵相

2019/09/29

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, 経済, 政治, 国際, マネー, 企業

note

ドルの買付けに競うということは経済の必然であった

 しかし一方また後にも説明するように、ドル買いが相場の先行きを眺めての経済行為である以上、そこに利害損得の打算があり、成功した場合に利益があることは間違いない。また時の責任当路が懸命に努力しているところに対して、民間の代表的有力銀行家が協力的でなかったことも確かであろうし、時間の経過とともに、行き懸り上政府の失敗を望ましいと思うようになったであろうことも想像し得るのである。

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 今日では既に時間の経過もあり、人心も冷静であるから、以上の説明だけでも読者は理解されることと思うが、“ドル買い”ということは、その本質においては純然たる経済問題だったのである。イギリスの金本位停止は当時の国際金融界では最大級の重大事件であった。その結果英貨ポンドの相場――米貨ドルとの交換比率――は急激に低落した。今日でもポンドはドルと並んで世界の2つの代表的通貨である。その価値の変動は日本にとっても重大な問題たるを失わない。まして当時日本の円貨は英貨ポンドにリンクしており、日本は世界通貨地図においてはポンド圏に属していた。ポンドの金本位離脱が必然的に円の金本位離脱――円貨の低落――に導かれるであろうと見ることは、経済人にとっては当然のこととされ、従ってドルの買付けに競うということも経済の必然としては少しも不思議はなかったわけである。

 だからドル買い事件は、その純粋な経済的姿についていう限り、“先高見越しで買い先安予想で売る”という至って平凡な自由経済の原則が、国際的通貨売買の面で現われたに過ぎない。

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井上準之助蔵相の“固執”が招いた失敗

 ところが一方この問題には、“純粋な経済的姿”のみについて理解することのできぬ要素もあった。それはこの外貨取引は他の普通の商品取引と違って、金本位という経済の基本的な制度を通じ、且つ取引の保証に対する政府の責任に絡んで、国の政策と重要な関連を持つものだったからである。そこに政府当路として護持に努める理由もあり、その護持の努力に対して非協力的な民間業者が私利追及者として非難される所以もあったわけである。

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 ところがその外に時の蔵相井上準之助には致命的な政治的固執があった。ドル買い事件を発生させた出発点もその固執であったし、井上の失敗の根因もその固執にあった。というのは時の若槻内閣(民政党)は、その前年昭和5年1月に金本位復帰(いわゆる金解禁)を断行した浜口内閣の延長であり、大蔵大臣の井上は当初からの責任者であった。然るにイギリスの金本位の停止された昭和6年9月は、それからまだ僅かに1年9カ月しか経っていない。井上としては自らの施策に対する自惚と執着から、イギリスはどうあろうとも日本は断じてこれに従わぬと頑張る行懸りは既に十分にあった。