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連載昭和の35大事件

「日本の金本位制度」終結の裏側 “三井のドル買い事件”が引き起こした「血まみれの政変」

自ら掘った溝に転落した井上準之助蔵相

2019/09/29

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, 経済, 政治, 国際, マネー, 企業

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金本位崩壊――円貨低落――ドル買い成功――景気回復

 そうした政治的不安定に関連して何より重要であったことは、ドル買い合戦の飛沫を受けて経済界一般が異常の金融難に襲われたということである。先にも説明した通り、ドルを買った銀行筋は、期限到来に備えて受渡実行のための円資金を用意せねばならぬ。用意するには貸出を抑制するとともに、既往の貸出について回収を厳にせねばならぬ。その上日銀は資金引締めのために2度に亘って金利を引き上げた。折から、さなきだに不況にあえぐ産業界としては恐るべき事態である。金本位維持などというようなハッキリしない目的のために斯様な苦しみをするよりも、むしろ金本位が破れて為替が低落した方がよいとする願望は次第に経済界全般に広まったものである。

 そうした願望が若槻内閣の崩壊、井上蔵相の退陣への願望となってゆくことは自然の数であった。殊に為替低落の裏には物価高騰、景気到来というヒロポン的効果が約束されている。少なくともそう考えることは当時の常識であった。その上に有力な野党の政友会は、11月10日金本位停止の必要を党議として決定した。この際政変さえあれば金本位崩壊――円貨低落――ドル買い成功――景気回復となる可能性は歴然たるものがあるに至った。

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政府・日銀の苦心が消え去る内務大臣の反旗

 こういう状態の下にドル買い合戦の決戦期12月が近づいた。事経済政策に関する限り井上の正攻法的包囲作戦は功を奏し、ドル買いの新たな動きは既に早くから消滅していたのみならず、一時金本位停止を見越して低落していた円貨も年末に近づくに連れて旧態に回復し、ドル買いの大手勢力だった外国銀行筋では、見込み違いと円資金の欠乏とに堪え兼ねて、逆にドル売を開始するなどの事態にまで進んだ。井上が“金本位のために乾盃する”日もいよいよ近いかに見え出したのである。

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 ところがである。球を抱いて猛然ゴールに駆け込むかに見えた井上選手の脚は突然鮮かなタックルに妨げられ、井上は見事に転倒した。タックルしたものは誰か。人もあろうにそれは味方の有力選手内務大臣安達謙蔵であった。若槻内閣は決戦直前に崩壊し、9月以来3カ月近い政府、日銀、正金の苦心は水の泡の如く消え去った。そして次に現われた犬養政友会内閣によって金本位は停止され、円貨は急落しドル買い派の圧倒的勝利に終ったのである。

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 内務大臣安達謙蔵のこの時の行動が一種の叛逆であったことは間違いない。叛逆の背後に伝えられる如く三井財閥があって、若槻内閣が“毒殺”されたのかどうかは固より明かでない。