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サッカーワールドカップはナショナリズムの決戦場

サッカーワールドカップ 僕らが「日の丸」に感動するのはなぜなんだろう(2)

2014/06/17
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ワールドカップ優勝でフランスが見た夢

 ワールドカップ優勝という偉業は、それを成し遂げた国民の意識にも大きな影響を及ぼす。九八年フランス大会で初優勝を飾ったフランスでは、そのことが顕著だった。

 当時のフランス代表は、アルジェリア系のジダンを筆頭に、ガーナ、セネガル、ギアナ、ポルトガル、アルメニア、バスク、アルゼンチン、カリブ海、オセアニア地域と多種多様なルーツを持つ選手たちによって構成されていた。白人のフランス人は、レギュラークラスにはブラン、デシャン、バルテズのわずか三人しかいなかった。

 フランスにおけるサッカーは、主に移民社会で人気がある。というのも移民の多くは都市郊外のスラムに生まれ育ち、サッカーを貧困を抜け出すための手段として考えているからだ。ジダンも例外ではない。アルジェリア系の彼は、マルセイユ郊外の悪名高いアラブ人団地に生まれ育った。二〇〇一年、私はジダンのルーツを探ろうと、この地で取材をしている最中、強盗に遭ったことがある。

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 フランスは長く移民問題に揺さぶられてきた。不況によって失業率が高まるたびに、四〇〇万人を超える移民の排斥を要求する声が高まる。また差別や貧困にさいなまれる移民が起こす暴動は、社会問題となってきた。

 だが、ワールドカップでフランスを初の世界王座に導く原動力となったのは、その歓迎されない移民たちだった。決勝でブラジルを破ったその夜、シャンゼリゼ大通りには一五〇万人が繰り出し、歓喜に酔いしれた。凱旋門には決勝で二ゴールを決めたジダンの雄姿と、「ジズー(ジダンの愛称)、愛してる」という文字が浮かび上がった。肌の色や出身地、階級に関係なく、フランスに暮らすすべての人々が、この素晴らしい勝利を祝福した。それはサッカーがもたらすナショナリズムによって、フランスが移民問題を乗り越えた美しい瞬間だった。

 フランス代表は、ひび割れた多民族国家をひとつにした。友愛の精神に満ちあふれたチームは、国民の意識を変えたのだ――。多くの人々が、そう確信した。

 しかし、それは幻想だった。〇一年、フランスは自国にかつての植民地アルジェリアの代表チームを迎えて親善試合を行なったが、試合前に流されたフランス国歌はスタジアムを埋め尽くしたアルジェリア移民たちの非難の口笛でかき消された。しかも興奮したアルジェリア人の乱入によって、試合は七六分で打ち切りとなった。

 友情を確認するはずの試合が、敵意と憎しみに包まれた。このことはフランス人に衝撃を与えた。ワールドカップの優勝はフランスを変えたようで、実は何も変えていなかった。そのことが明らかになったからだ。

 ワールドカップはナショナリズムを刺激する。日本も無縁ではない。二〇〇二年日韓大会のグループリーグでロシアに勝った夜、渋谷のスクランブル交差点は日本代表の青いユニフォームを着た若者たちによって埋め尽くされた。国の名を叫びながら公道を練り歩く若者たち……。それはいままでの日本にはなかった新しい現象であり、以降、伝統となった。この六月も、日本代表が勝つたびに渋谷や六本木は「ニッポン!」と叫ぶ若者たちであふれ返ることだろう。この高揚感は、いったいどこへ向かうのだろうか。

【秋田豊さんによる「サッカーワールドカップ 僕らが「日の丸」に感動するのはなぜなんだろう(1)」はこちら

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